自分自身がエンターテイメントになるとはどういうことか
自分自身がエンターテイメントになるということは、「自分の変化を娯楽として楽しめること」であると考えている。
これには例えば以下のようなことが例として挙げられる。
・筋トレで自分の体を引き締めて、その見た目にうっとりする。
・勉強をしてそれまで知らなかった知識を身につけて世界の見方が変えられる。
・引けなかったフレーズを根気よく練習して、ある日突然できるようになる。
・自分の味の好みを追求した料理を作って、その美味しさに感動する。
・格闘技の対戦中に自分の思い通りに技を繰り出すことができる。
上記は全て筆者が日々感じている楽しみの例なので、ピンと来る人は少ないだろう。ここで言いたいことは、自分自身の工夫によって、自分自身が変化した時、そこに喜びを見出せるかどうかが自分自身をエンターテイメントにする、ということである。
他人が与えてくれるエンターテイメントにはお金がかかる
一方で、他人が与えてくれるエンターテイメントを欲しがる人もいる。
他人が与えてくれるエンターテイメントは、大体においてお金がかかる。お金がかかるということは、お金を払えば誰でもそのエンターテイメントにアクセスすることができるし、そのエンターテイメントを消費する際に消費者が支払うのはほとんどお金がだけだったりするので、ある意味手軽に手に入れられるエンターテイメントである。
上記に倣い、以下に例を挙げる。
・チケットを買ってテーマパークに行って遊ぶ。
・お店で売っている完成品の食べ物を買って食べる。
・かっこいい服を買ってそれを着る。
自分自身がこの手のエンターテイメントを意識的に避けているので、あまり例が思いつかない。つまり、ここで言いたいのは、他人が与えてくれるエンターテイメントとは、「他人から買ったものを消費したらそこで終わってしまうエンターテイメント」である。
お金には限りがあるので自分自身をエンターテイメントにできると無限に幸せになれる
他人が与えてくれるエンターテイメントは、お金さえ払えばいいので非常に手軽であるが、それにお金を支払い続けることは多くの人にとっては難しい。いつでも、いつまでもお金が十分にある状態を維持するのは難しいからだ。
さらに、困ったことに人は物事に飽きる。なので、同じ値段で他人から買っていたエンターテイメントも、「より高額なエンターテイメントでないと満足できない」という不幸な状態に陥る可能性もある。
これを避けるためにはやはり、自分自身をエンターテイメントにするべきだろう。お金がかからないので、無限に手に入れることができるし、満足できなくなればより高い目標を設定して頑張ってみればいい。
もしかすると、それを続けていれば、それ自体をエンターテイメントとして他人に売ることだってできるかもしれない。夢のある話である。
お金を使わずに幸せになろう
日本に住んでいる以上、これからどんどん可処分所得は減っていく。
これまで他人からエンターテイメントを買っていた人は、幸せを感じにくい世の中になっていくだろう。一方で、自分自身がエンターテイメントになっている人はそんなことは問題にならない。(とはいえ、生活の糧を得る難易度が上がって、その分労働に時間を回した結果、何かに取り組む時間が減ってしまうことはあると思うが。)
意識改革は一朝一夕には難しい。なので今からお金を使わなくても楽しめるようになっておくといいと思った。