ローンが払えなくなるとさも「被害者」のような顔をする人々に違和感がある
「まさかコロナが来てこんなことになるとは」
こんなことを言って借金が返せずに家を手放す人々の落胆が、上記の動画で見える。
別にこんなことはコロナでなくても起こりうる。
今回たまたまコロナだっただけ。
いや、そんな大規模なものでなくとも、自分の給料が下がるだけでも「まさか」は起こりうる。そんなことは当たり前。
当事者的には「まさか」なことが起こった時に、自分の考えの甘さを呪わずに、自分に起きたことに落胆することに違和感がある。
別に誰かに強制的に借金をさせられて、家を買わされたわけではあるまい。
自分が欲しくて、でもお金がないから人から借りて買った。
そして、借りたお金が返せなくなったから買ったものを手放さなければならなくなった。
ただそれだけのこと。
全てはそういう決定をした自分の責任である。
にもかかわらず、そういう決定をした自分の愚かさ、考慮の浅さを呪う人が見えないのは違和感がある。
主犯は当事者で、コロナも失業も給与カットもただの大きな流れの中で起きた事象に過ぎない。そういうことは普通に起こる。
「何が起こるか分からない」は当然なのに十年以上の先まで支払いの約束をするのは奇妙
世の中何が起こるか分からない。
そんな中で、自分の毎月の収入から十数年先まで借金の返済の約束する人の感覚は奇妙である。
あなたに入ってきたそのお金は経済の大きな流れの一部である。
そしてその流れはいろんな要因で変化する。
その変化は時としてあなたの収入を無くしたりもする。
経済の大きな流れにおいて一個人ができることは少ない。大きな流れに逆らうことは難しい。
しかし、借金をしている個人にとって経済の大きな流れがいつでも都合よく作用するとは限らない。
都合が悪く作用した結果が失業や給与カットだったりなわけだ。
我々は、そういう個人の努力ではどうしようもない大きな流れの中で生きている。毎月の給料が奇跡的に入ってきているに過ぎないのに、十年以上先まで確実にお金を支払う約束をどうしてできるのだろう。
実に奇妙だ。
自分の余剰資金の範囲内で買い物をすればお金で「こんなはずじゃなかった」は起こらない
借金をせずに、自分の生活をしばらく成り立たせるだけの生活防衛資金に手をつけずに買い物をすれば「こんなはずじゃなかった」と思うことはなくなる。
だって生活が破綻することはなくなるんだもの。
自分の生活が破綻するリスクを負ってまで欲しいものなんかない。
自分の浅はかな考えで自分の生活を破綻させてしまう人が多いことを鑑みると、考えて自分の生活を守れているのは才能なんだろうか。