個人としては「賃金を伸ばさないと消費が落ち込む問題」なんてどうでもいい
賃金が伸びないから消費が増えない、それは税収減に繋がり、国が提供するサービスも少なるなる。このことを問題とする議論は尽きない。
各種報道等では、この問題を、さも「個人が考えるべき深刻な問題」であるかのように語られているが、実際は個人の問題ではない。社会の問題である。
社会の問題は一個人が考えることではない。それは政治で解決すべき問題である。
しかし、「消費と労働の螺旋」から降りていない個人にとっては、「賃金を伸ばさないと消費が落ち込む問題」は問題は個人の切実な問題となる。
お金を使いたくて仕方ない人は、企業からもらえる賃金が「必要分」無いと困ってしまう。そしてこういう人の「必要分」は往々にして多い。
当ブログでは、「こういうお金を使いたくて仕方ない人」に否定的である。特にこういう人がお金に困った時は「ざまぁみろ!」と思う。
仕事が不安定なのは当たり前
仕事は不安定であるのが当たり前。
なので仕事によって得られる収入も当然不安定になる。
収入が不安定なのにお金をたくさん使おうとすると、何かあった時に生活が破綻する。
なら、お金なんかに依存しないで生きよう。
そんな話が以下で聞ける。
不幸なのは「必要なモノが手に入らないこと」
モノが買えないことは不幸では無い。
不幸なのは「必要なモノが手に入らないこと」である。
こう考えた場合、ローン破綻して泣いている奴らが買っていた「高級品」は買う必要があったんだろうか?
例えば「戸建て新築住宅」を買う必要はあるだろうか?
はたまた「新車」を買う必要はあるだろうか?
これらを買う必要はない。なくても生きていける。実はただ欲しいだけなのである。
「消費と労働の螺旋」から早く降りたい
不用品を買うために、やりたくもない、かつ、いつまでできるかわからないような労働に身を投じたくはない。
必要なモノを手に入れるためであれば、そんなに苦労しなくていい。本当に僅かなお金だけあればいい。
筆者は早く「消費と労働の螺旋」から早く降りたい、と毎日思っている。