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『どんとこい!貧困』の読書感想文

 

 

『どんとこい!貧困』

湯浅誠[ユアサマコト]
著・文・その他

 

内容説明

「自己責任よ、これでさらばだ!」競争、無関心、上から目線。そんな「社会」をあきらめて受け入れるだけが人生じゃない。誰もが幸福になる権利がある、ここからスタート。重松清との対談付。

 以下より引用。

www.kinokuniya.co.jp

かねてより「自己責任」について関心があった

 成功の理由は、個人の努力であり、失敗の理由は個人の努力不足である。

 こんなふうに考えていた。

個人が失敗した個人を「自己責任だ!」と糾弾するのは不毛

 しかし、仮にそうだとしても、失敗した個人に対して、失敗したことを責め立ててもしょうがないのではないか、と思うようになった。

 その失敗は個人の責任であるとも言えない場合もあるし、そもそも失敗したこと責めても状況は好転しない。

 ゆえに、失敗した人を「自己責任だ!」と糾弾することはやめた。

 詳しくは以下の記事を参照していただきたい。

spreadthec0ntents.com

spreadthec0ntents.com

一方で個人は失敗した個人を助けることはできない

 一方で、個人では失敗した個人を助けることはできない、ということも認識していた。

 失敗の程度にもよるが、個人のリソースでは、他人の失敗の尻拭いをするには足りないのである。

 自分の人生を理想通りにしようとするだけで精一杯である。

 そのことに集中しているうちは、お金も時間も体力も全然足りない。

 なので、失敗した個人を責め立てることはしないが、一方で助けることもできない。

 

 ここまでが『どんとこい!貧困』を読むまでの考え。

 

『どんとこい!貧困』を読んだ感想

「他人に対して言う自己責任」は存在しない

 本書の考えでは、例えば、「努力不足だ!」などの「他人に対して言う自己責任」は、それを言われた個人(つまり失敗した人)の背景を考えると、必ずしも100%が本人の責任とは言えないので、自己責任ではないとしている。

 おそらく、「自己責任」があるとするならば、何かをやろうとする個人が個人余剰リソースの範囲内で、かつ、自分がやりたくて「これは私個人の責任でやります」と宣言した場合に、結果的に「自己責任」が発生するくらいだろう。

 「バンジージャンプ」や「スカイダイビング」をやる時に書く誓約書のようなもののイメージ。別にやりたくなかったらやらなくても不利益はない。

失敗した個人を助けるのは社会の役割

 本書は、「失敗した個人が自己責任だと責め立てられず、むしろ失敗してもなんとかなる仕組みがあった方がいいよね。」という考えである。

 他者に対して言う「自己責任」が存在しないのだから、それを理由に失敗した個人を救済する社会の仕組みを作らない、あるいは、潰すのは間違っている。

 例えば、「金がないのは自己責任だから生活保護とかいらんやろ!」みたいなのは的外れなのである。

 これには同意。

個人は失敗した個人を助ける仕組み作りを応援した方がいい

 個人レベルでは失敗した個人を助けることはできないし、本書でもそのことは推奨されていない。

 個人では失敗した人を「自己責任だ!」と責め立てるのをやめるくらいでいい。

 もしも、余裕があるのならできる範囲で助けてあげればいい。

 ないなら無理してやらなくていい。

 一方で、民主主義社会においては、社会の仕組みは個々人の意見の総量で決まるので、個人として「失敗した人もなんとかなる社会の仕組みを望む」ことには価値がある。

 なので、筆者も個人としてそういった仕組みが作られ、また維持されることを望む。(逆に言うとそれだけしかできないし、しないけども)