もう十分にある

 

美味しいものは十分にある

 美味しいものは全て自分で作ることができる。なので外食に行くことはない。

 だから美味しい食事をするのにかかるお金は、外食に行く人よりもウンと少ない。

 直近2年間の食費は、夫婦2人で最大で月に30,000円で済んでいる。

 これくらいのお金なら今も、そして今後も余裕で出すことができる。

 こういう状況なので、美味しいものは既に十分確保できていると言える。 

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楽しいゲームも十分にある

 楽しいゲームは十分に持っているし、ほとんどなんだって買える。

 ただし、それらは「最新のゲーム」ではなく、昔に発売した、今はみんなが遊び終わって見向きもしなくなったゲームだ。

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 ゲームの面白さと新しさは関係がない。

 面白いものは何年前に発売したゲームでも面白い。現に過去のゲームを現行機種向けにリマスターしたゲームもたくさん発売されるようになっている。

 ゲームをやってきた期間は長いので、「何が自分にとって面白いゲームか」ということをわかっているつもりだ。

 なので手当たり次第にゲームを買い漁ると言うことはしなくて済む。

 それに今はちょっと調べればそのゲームのことはだいぶ詳しくわかる。

 買うべき楽しいゲームが何か見極められるし、膨大なゲームが中古市場やストアのアーカイブに残っているので、ゲームを手に入れるコストを低く抑えることができている。

 故に、もう面白いゲームは十分あり、かつ、それにアクセス可能な状態にあると言える。

楽しい格闘技も十分にある

 これまでに、ボクシング・キックボクシング・ムエタイ・柔術・総合格闘技をやってきて、格闘技の楽しさは十分に知っているし、それを楽しめる身体とスキルと方法を持っている。

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 時間さえあれば無限に格闘技を楽しめる土台をすでに持っているのである。

 また、ジムの会費は高くて13,000円である。

 これはギリギリ払うことができる。

 なんだったら仕事をしなくても資産所得から払うこともできるので、あえて資産の元本部分を減らさない限りはほとんど無限に楽しむことができる。

弾きたい音楽も十分にある

 弾きたいけれども時間と体力がなくて引けてない音楽は山ほどある。

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 しかも筆者が弾きたい音楽は、有志が無料で楽譜を作成し、ネットに公開しているので買う必要はほとんどない。

 もし、買う必要があった場合でも、楽譜を一旦買って、弾きたい曲の分だけコピーして、原本はフリマサイト等で売ればいい。

 そしたらほとんどタダで楽譜が手に入る。

 楽器は一旦買ってしまえばほぼ永久に使えるので、お金の心配はしなくていい。もちろんメンテや消耗品の交換はあるが、そんな出費は大したことがない。

作りたいモノも十分にある

 作って運営してたサイトのサーバー移設とかメンテナンスとか機能追加とかやりたい。

 新しいモノも作りたい。

 これにも少額の費用が多少かかるし、短期的には自分だけが損する出費になるが、中長期的には楽しいし、得する公算もある。

 時間と体力ができたらやりたい。

住む場所は1LDKの賃貸で十分である

 マイホームなんて頼まれても所有したくない。

 高校生から32歳の今まで、国内海外合わせて合計10箇所の物件に住んできたが、結論として、二人暮らしでも1LDKの広さがあれば十分である。

 そしてそれは所有しなくていい。

 いつでも引っ越せる気軽さ、管理が他人任せな賃貸が良い。

 地域や築年数によるが、1LDKに住むくらいのお金なら軽い労働をすれば賄える公算があるので、これも十分にアクセス可能な状態にあると言える。

欲しいものはもう十分にある

 こうして考えると、欲しいものはもう十分に手に入る状態にあると言える。

 あとは、残りの人生をかけて、それらを手に入れながら、楽しむことをやっていく。

邪魔するのは今の仕事

 今の仕事は毎月十分なほどの「余剰」を手に入れることができるが、代わりに毎日のほとんどの時間と体力を差し出す必要がある。

 これはすごく恵まれていることだと思う。

 毎日ほとんどの時間と体力を差し出しても、ほとんど「余剰」ができないくらいの仕事をしている人を身近にも複数人見ている。気の毒だと思う。

 が、「余剰」ばかり作る人生はつまらないし、もったいない。

 せっかく楽しいものが十分にあることを理解できているのに、それにアクセスせず、我慢して老いていくのはあまりにもったいない。

 どこかでこの余剰ばかり作る生活に区切りを入れなければならないと思った。