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「そんなものにお金使うの?」はあたりまえの感想

増えるお金のイラスト(一万円札) | かわいいフリー素材集 ...

 

「お金」は「感動というゴール」に行くための手段にすぎない

 「お金」はただ持っているだけでは、意味がない。それを自分が「感動」するために使ってこそ初めて意味がある。

 なので、「お金」の使い方が上手な人は、それを使うことで自分を「感動」させることができ、それによって幸せを感じられる。

 一方で、「お金」の使い方が下手くそな人は、たくさん「お金」を使っても、満足できない。

 「お金」を何に使えば自分が「感動」できるか、ということをちゃんと考えていないから、自分が「感動」できないものに無駄な「お金」を使ってしまうのである。

 人が「感動」するにはある程度の「お金」は必要だから、こういう人は無駄に使った分を取り戻すために苦労することになる。

「感動」の中身は人それぞれなので他人は理解できない

 人が何に「感動」するかは、それぞれ違う。何が好きで、何が嫌いか。それぞれ違うから。

 なので、他人には自分が「感動」しているものがわからない。「感動のアンテナ」が似ている人はいるかもしれないが、「感動」の強度も違うからやっぱり他人はわからない。

 そういう他人にはわからない「感動」のために「お金」を苦労して貯めても、他人からは褒められない。もちろん、自分の「感動」のためにやっていることなので、他人に褒められる必要はないけども。

「お金」の価値はほぼ人類共通なので他人はその価値については理解できる

 一方で、「お金」の価値はほぼ人類なので、自分が持っている「お金」の価値は他人には正確に伝わる。

 自分の100万円の価値は、相手にとっても100万円の価値なのである。

 だからこそ、売買による交換が成立するのである。

「そんなものにお金使うの?」はあたりまえの感想

 他人とは、手段としての「お金」の価値については分かり合えるが、それぞれが何に「感動」するのかは分かり合えない。

 それゆえに、他人から見れば他人の買い物は「そんなものにお金使うの?」という疑問になるのは当然である。

 「子供」、「新車」、「新築戸建て」などは、それで「感動」する人が多い(と思い込んでるだけかもしれないが)ので、むしろ買わないことに疑問を持たれるが、ちゃんと自分の「感動」についてよくわかっている人に言わせれば、「そんなものにお金使うの?」ということになる。

 個々人の「感動」について、分かり合えないのは当たり前だし、分かり合う必要もない。個々人が勝手にやればいい。勝手にやらせてあげればいい。ましてや「お金を使うこと」を強制するなんてもってのほかである。

 が、そういう無粋な人が多いんだよなぁ。残念。

ただし「そんなもの」にお金使った結果、お金に困ったら笑う

 しかし、それによってお金に困ってしまった時は、その頭の悪さを笑うし、笑っていいものだと思っている。

 お金を何に使うかは個人の自由である。が、お金を使う以上、「お金のルール」を守らなければならない。

 ルールを守ってお金を使わなければ家計は破綻する。

 自分にとって価値のあるお金の使い方をするのは結構だが、ルールを守って末長く楽しく暮らしたいものである。

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