- 妻は子供を産みたかった
- 我々は自分達の生活を成り立たせつつ、子供を産んで育てるためのリソースを十分に持っていなかった
- 検討の末、「リソースを夫婦二人のためだけに使う」とオレが決めた
- 「仕方なかった」のではなく、オレが「あえてそうした」ということを忘れない
妻は子供を産みたかった
妻はもともと「子供を産みたい派」だった。(もしかしたら今もそうかも
もちろんこれは「産みたい」という欲望だけで、「そのためにどうするか」、ということはまるで考慮していないモノである。あくまで欲しがるだけである。
筆者もいざ本格的に子作りを検討するまでは、なんとなく「作ったら作ったでなんとかなるんじゃないか」と思っていた。何も具体的には考えていなかった。
そんな二人がいざ子作りを検討してみると、我々二人が持っている現状のリソースでは、子供を産み、育てることはだいぶ難しいと思った。
それを検討し、説明する際はだいぶストレスを被ったことを今でも覚えている。
我々は自分達の生活を成り立たせつつ、子供を産んで育てるためのリソースを十分に持っていなかった
簡単に状況を整理すると以下の通りである。
詳細に検討した内容は以下の記事の通り。
必要なリソース
子供を育てつつ、自分達の低負荷な人生を送ろうとするのに必要だと考えているリソースは以下の通り。
- お金:子供一人を大学まで進学させる分のお金で、1,000万〜1,500万円は最低でもかかる。
- 時間と体力:両親のサポートは期待できないので、子育てに使える時間と体力を、夫婦二人の時間と体力から捻出しなければならない。
- お金:夫婦とも仕事の負荷が高いので、なるべく早く仕事を辞められる分のお金として、それぞれ3,000万円(年利4%で暮らす想定)が必要。
足りないリソース
必要なリソースは全て足りない状況であると言っていい。
- お金:子供にお金を使うと自分達の生活を成り立たせるための分のお金がなくなる。
- 時間:お金をなるべく早くに作らなければならないので、仕事しながら子育てをすることになる。ただでさえ仕事でたくさんの時間を使っているのに、ここに子育ての時間が乗っかると、生活が破綻する。
- 体力:時間と同じく、仕事の負荷が高いので、体を休める時間が必要である。しかし、仕事はやめられないし、当然、子育ては休めない。
検討の末、「リソースを夫婦二人のためだけに使う」とオレが決めた
「子供を作り、育てること」と、「夫婦二人が低負荷な人生を送ること」は上記の通り両立できない。
なのでどちらかを決める必要があった。
そこで筆者は、「夫婦二人が低負荷な人生を送ること」に全てのリソースを注ぎ込むことを選んだ。
「大変なことが確定していて、でも、もしかしたら今以上に楽しい人生」を捨てて、「今の生活の延長だけど、確実に少しずつ楽になっていく人生」を選んだわけだ。
「仕方なかった」のではなく、オレが「あえてそうした」ということを忘れない
これは子育てを仕方なく諦めたのではない。あえて諦めたのである。
そして、それを決めたのは筆者である。
妻は説得されたのであって、納得しているわけではないと思う。だって、どんな事実があろうとも、「欲しいものは欲しい」と思うのは理解できることだ。(それを押し通した者の末路は大体悲惨だけど)
なので、決めた以上はその責任をずっと背負っていかなければならない。
決めたのは筆者だ。決めたことの責任を取るのも筆者だ。
後にどんな恨言を言われても、引き受け続けなければならない。
まぁいいだろう。それくらいやってやる。
むしろ、この決定に賛同したくなるくらい、いい人生を作っていこう。