その努力のやり方は危険
筆者の父親は、どこかの投資系youtuberに影響されて、上記の『日経ダブルインバース』に全財産を投じて、「日本経済の崩壊」を心待ちにしながら余生を過ごしている75歳である。なんでこんなことを、その歳になってやっているのかはよくわからないが、本人は「理想のための努力」だと信じてやっている模様。筆者は自分の生活を守るのに必死なので、こんな「ギャンブラー」の面倒を見る余裕はない。なので、来るべき時に然るべき判断をしないといけないことは覚悟している。
ただし、この件は「努力」について考えるいい機会だと思っている。思うに、「努力」は手段に過ぎないので、それ自体を評価するのはおかしい。筆者は「努力」は、自分の生活の満足度を上げるための手段として、適切な対象を選び、適切な方法で行うべき、だと考えている。
あらゆる「努力」は「自分の生活の満足度」がゴールであるのだから、例えば、「お金持ちになる」とか、「良い会社に就職する」とか、そういうことのために「努力」をしているようでは、まだゴールについての考えが足りない。それらも手段に過ぎないのだから。「努力」の先にどういう心の状態で毎日生活しているか、を具体的に想像できないなら「努力」を始めるべきじゃない。
理想とする「自分の生活の満足度」を想像できたら、次は「努力」の中身を検討するべき。ゴールに至るために、一番可能性が高く、コストが安く、リスクが低い手段を選ぶ必要がある。なので、もし失敗したら「自分の生活の満足度」が今より下がるような「努力」はすべきじゃない。また、人間のリソースは有限なので、想像できるあらゆる「努力」がいつでもできるわけじゃないことも忘れてはならない。時間もお金も体力もチャンスも全部有限なのだから、「努力」はリソースを投じる前にやるかどうかを検討しないといけないのである。
考えてみれば、「努力」なんて言葉を使って行動してる時点で冷静な視点は失われてるのかもしれない。たぶん、「努力」の中身が検討されれば、それはドラマチックではない、「ゴールに続くタスク」として淡々と消化される作業になるはず。
なんだか、昨日の「現状認識と報連相」の話もそうだけど、「目的を達成するための正しい行動」について考えると、特に尖ったベンチャー企業なんかの「企業組織の活動」ってすごく納得感があると思った。
2025年3月13日読み回り感想メモ
あえて説明しきらない「スタンプ」はむしろコミュニケーションを円滑にする気がした。
暴力が真実かはともかく、この物語が圧倒的な説得力を持っている。。
ゲームが安いので「ゲームをやりきる」ってことを経験しなくなってきているので、こういう熱量には感心する。。
焼き芋からゲーム音楽、バタースコッチまで、話題の振れ幅が絶妙。。
怠惰を自覚しつつも、そこに抗い読書へ向かう決意…その葛藤と覚悟が見事。。
楽を知りつつも、それに甘えすぎる自分を客観視する姿勢が素敵。
今日を大切にすることで、いつの間にか人生が楽しくなる。その発想こそ、まさに生きる知恵。
息子の悔しさと親のもどかしさ、その両方が滲む。。やり切った充実感と、ふとした割り切れなさ。その心の揺れがリアル。。
肩こりに抗いながらも、夫婦でぼちぼち歩んでいく姿勢が素敵。
淡々とした語り口の中に、覚悟が滲んでいる。。
日記を通じて日々を振り返り、変化の中でも前向きな視点を持とうとする姿勢が素敵。。
伝えなくてもいい感情を抱えながら、それでも言葉にするバランスが見事。
SNSの情報に流されずに一度立ち止まって考える姿勢は、まさに現代に必要な冷静さ。。
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