現金や株は「世界が正気である限りの保険」、自給自足は「世界が狂ったときの地盤」
アメリカ発の保護主義と関税合戦が再び激化している。アメリカは中国だけでなく同盟国にも関税を課すなど、「自由貿易の終わり」を感じさせる動きが相次いでいる。世界がこのまま進めば、良くて「地域ごとに、まぁまぁうまくやるブロック経済化」、悪ければ「1930年代のように世界恐慌からの戦争」になるんじゃないかなぁと筆者は予想している。どちらにしても経済規模は現在の「グローバル経済」よりも小さくなる。
こういう状況では、現金や株のような金融資産の価値は下がる。筆者自身も「オルカン」を積み立て投資してきたが、「世界経済の土台」そのものが揺らぐなら、そこに乗せた資産も揺らぐのは当然だ。実際、世界恐慌の際は株価が90%近く下落し、元の水準に戻るまでに25年を要した。このことから、現金や株というのは、「国家や市場が正気を保っている間だけ有効な保険」だと痛感する。
一方で、恐慌時に価値を失わなかったのは「実需」を持つ資産だった。例えば、住める家、食べられる作物、使える水。これらは市場や政府が「価値がある」と保証しなくても、使えば自分を生かせる。だから価値がある。言い換えれば、それ「自体が価値」になっている。これはどんな経済状況でも揺らがない。
筆者はこれまで会社で働いて現金を得て、その現金で投資して株を増やしてきた。毎月の積立や年単位の運用はすべて「信用」でできた資産を増やすための行動だった。でも、こうした資産は「信用が崩れたとき」に脆い。いくら預金があっても、通貨が暴落すれば紙くずだし、企業が潰れれば株も無価値になる。
だからこれからは、自分のリソースの一部を「実需のある資産」に振り向けようと思う。例えば、家庭菜園で農業技術を身につけること、地方に移住して安く維持できる住まいを確保すること、最低限の水・電気・暖房を自分でまかなう手段を整えること、さらにそれを一緒にできる「仲間」を作ること。衣食住をできる限り外部に依存しない構造を、自分の中に少しずつ作っていく。
つまるところ、株や現金は「世界が正気である限りの保険」だ。でも世界が狂ったとき、頼れるのは「自分の手で価値を生める力」だけだ。その地盤があるかないかで、次の時代の安心感はまったく違ってくる。だからこそ今、自分の暮らしのなかに「狂った世界でも生きていける要素」を増やしていこうと思う。そして、それは恐慌のための備えであり、同時に「より豊かな暮らし」への入口でもあると思うから。