他人事ではいられない時が、いつか来る

他人事ではいられない時が、いつか来る

 今の時代、誰かが作ったコンテンツで十分に楽しめる。さらに、機械やAIで代替できるモノもどんどん増えている。そんな環境においては、あえて自分で手を動かしたり、考えたりするには、「自分でやる理由」が必要だと思っている。

 しかし、その「理由づけ」はしんどい。それは自分の内面を掘り下げる作業になるからだ。「自分はどういう人間で、そんな人間がそれをやってどうするのか、どうしたいのか」ということを言語化し、納得がいくまで考え続ける。これは、誰にとっても負荷が高い。みんな、そういうことはしたくないので「なんとなく」で生きようとする。だから、「嫌なことは深く考えず、気持ちよく消費できるコンテンツ」が求められるのは、むしろ自然なことだ。(そしてそれとは真逆なこのブログが無視され続けるのもむしろ自然。。)

 そうすると、コンテンツも「他人事」で楽しめるよう設計されるようになる。観客が自己を重ねず、ただ気楽に眺められることが第一になる。たとえば、物語の中に「あれ、これ自分のことじゃね?」と感じさせる描写があったら、それは「不快な表現」とみなされる。だから徹底的に排除される。「ご配慮」として。

 しかし、当然、人生は最後まで「他人事」でいられない。いつかは自分が舞台に立つ時が来る。そして、そこでの選択や行動の責任は、どこまでいっても自分に帰ってくる。「政治が悪い」、「会社が悪い」、「あいつが悪い」と叫んだところで、たとえそれが「正当」であっても、残念ながら結果は変わらない。結果に満足したいなら、社会への働きかけとは別に、自分の成功のためのムーヴが必要になるってこと。

 だからこそ、日ごろから自分と向き合い、自分の理由で動ける準備をしておいたほうがいい。誰かが用意した「他人事の楽園」で遊んでいるだけでは、いざという時、何もできないまま終わってしまうかもしれないのだから。