『逸脱TV』で「統合失調症」の様子を見て思ったこと
以下の動画群を見ていて、画面の前という安全圏から野田さんの主張だけを聞いていると、「この人が正しくて、世の中がおかしいんじゃないか?」と自然に思えてしまった。でも、「そうとも言えない」ということを、以下のコメントを見て目が覚めた。
youtubeのコメント欄って「しょうもない内容」で溢れてると思っていたし、実際9割は「小学生でもこんな浅い発想をわざわざ文章にしないだろ。。」みたいにあきれる内容だが、「まだ」残りの1割は目が覚めるようなまともな意見があるみたいでうれしく思った。
とはいえ、上記のコメントは筆者のブログのありかたについてもグサりと来るものがある。。
無理に勝たず、無理に従わず、ただ負けない
筆者もこの動画に出てくる「統合失調症患者」のように、論理的に正しいことを主張すれば、世界が変わると思っていた時期があった。だが現実はそう単純じゃない。確かに社会には矛盾が山ほどあるし、それを指摘するのはたやすい。世界にはそれくらいワキの甘い矛盾があふれているが、一方で、多くの人はその矛盾の上に立って「それなりに」生きているのも事実。そこを無視して論理の剣でやたらと斬りつけると、「狂人」として排除される。
だからといって、黙って従うのも違う。矛盾は矛盾として把握しながらそのうえで「自分はどう生きるか」ということを考えて決めるのが大事なんだと思う。だから、筆者は世界が白を黒だと言うなら、それは否定せず、それを前提として動く。ただし、それに従うわけじゃない。これは有利なポジションを取るためのムーヴであって、本気で白を黒だと思ってるわけじゃない。矛盾してるからぶっ壊せ、なんてことはしないのである。大事なのはいつだって「その世界で生きる自分のこと」なのだ。
昔はパンクロックが好きだった。矛盾だらけの世界を否定し、怒りをぶつけることで生きてるバンドに心酔した。でも気づいた。そんなことで世界は変わらない。結局、あれは「負け犬の共同幻想」であり、ただのエンタメだったのだと。それに影響されて、変わらない世界に拳を振り上げても、壊れるのは自分のほうだった。だから今は、「正しさ」で世界に立ち向かうことはやめた。そういうのは、むしろ内向きに使っている。自分のリソースや行動の管理、または自衛のために。
正義より現実。理想より実効性。無理に勝たず、無理に従わず、ただ負けない。それが今の筆者の構え方だ。