自由は危ない~フロムとジョンと刑務所動画の感想~

自由は危ない~フロムとジョンと刑務所動画の感想~

 刑務所の動画を見て、刑務所に入った人間が健康になって出てくる理由がよく分かった。そこには規則正しい時間割、バランスの取れた食事、適度な運動があり、当たり前だが酒・タバコ・クスリ・SNSといった刺激はない。こうなると、むしろ健康にならない方がおかしい。

 これを見て、「自由がない」というのは必ずしも悪ではないと感じた。考えてみれば、むしろ現代人が自滅する原因の多くは、自由そのものにある気がした。エーリヒ・フロムが『自由からの逃走』で説いたように、自由は「自分で考え、選び、行動する」ことができる一方で、その結果を引き受ける責任もセットあり、それが人を疲弊させる。食欲に任せて食べたいものを食べれば、その分だけ身体は壊れて太る。

 自由を適切に扱うには、ジョン・グレイの『猫に学ぶ』で語られる、学ぶべき対象としての「猫」のように、今あるものに満足して静かに生きる、というのが大事な気がした。幸せになるために、自由にあれこれ手を出した結果、身持ちを崩すパターンが大半なんじゃないだろうか?

 とはいえ、現実は結構厳しい。自由に味わった快楽は一度知れば抗いがたく、たとえ刑務所のような環境で「先人たちの知恵」を学んでも、生涯にわたり快楽をコントロールするのは難しいだろう。だから「一回くらい」の発想は致命的だ。カイジのオオツキ班長が言うように、「ちょっと一杯、なんてのが大甘なのよ」である。その一度が終わりであり、同時に地獄の始まりでもある。自由を適切に扱えない人間は、結局、依存や生活習慣病という形で自滅する。そう考えれば、刑務所のように自由を奪われることで逆に健康を保てるのは、皮肉だが合理的とも言える。

 結局のところ、自由の危うさを理解せずにそれを与えられた人間は、勝手に堕ちていく。本来は、自由の扱い方を学ぶ機会が必要なのだろう。しかし実際にはそうはならない。「従順な消費者」が無自覚に拡大主義の歯車として消費し続ける限り、資本主義は心地よく回る。わざわざ余計な知恵を与える理由など、どこにもない。結局、自分で気づくしかない。

参考

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