ストレスの「発散」が招く無限地獄~デヴを見て思うこと~

友人のデヴが次々と肥満由来の病気になる

 35歳(執筆時点)の筆者の同年代のデヴの友人たちが、男女問わず、その肥満由来の病気にかかって苦しんでいる。

 

 そんなデヴの友人の内、メンズで一番重いのは、「大腸穿孔」。これは大腸が部分的に炎症して、その部分に穴があいて、最悪、うんこが体内に漏れ出す危険な病気である。そいつは現在入院中で、今後3回の手術を予定しているらしい。ちなみにこいつの体重も友人の内で一番重い。。

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  デヴの友人の内、レディースで一番重いのは「妊娠高血圧腎症」である。高血圧の妊婦が、母体と胎児に悪影響を与えてしまう危険なやつらしい。

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 筆者は「4大リソース(お金、時間、健康、人間関係)を大事にするおじさん」なので、そもそも肥満になることを許さない。毎日体重を計って自分を管理している。

 

 彼らに共通するのは、「食べることでストレスを発散する」ということだ。よく聞くワードだが、筆者はこれを「むしゃくしゃしてやった。今は反省している。」という衝動的犯行の定番の動機のごとく、しょうもないものだと思っている。ストレスとは「発散」するものではなく、向き合うものだからだ。

 

 病気にかかった友人たちを「バカだなぁ」と思いつつも、貴重な人間関係なので「死ぬな!」とも思う。どうか無事に生還して、その弛んだ生活習慣を見直して、健康で末永く筆者と遊んでほしいと願っている。

ストレスの「発散」が招く無限地獄

 ストレス、つまり、「負の感情」を発散させることに夢中な人が多い。が、「負の感情」は自分の心がアラートを上げている証でもあるので、それを「発散」してなかったことにする、というのは意味がないどころか危ないことだと思っている。たとえるなら、警報が鳴っているのにスピーカーの電源だけ切って安心した気になるようなものだ。肝心の火種は何も解決されていない。

 

 本来、負の感情は「今の自分が何を求めているか」、「何に引っかかっているか」を教えてくれる、重要な内省の材料だ。たとえば、怒りを感じたなら「何が自分を怒らせたのか」、悲しみを感じたなら「自分は何を悲しいと思うのか」。こういう問いを自分に投げかけることで、感情はただの反応から、自分の価値観や境界線を見つけるヒントに変わっていく。

 

 だが現実には、多くの人がこうした問いかけを避けている。むしろ「負の感情」を「発散」させるのに夢中になっている。たしかに、感情と向き合うのは面倒だし、時に自分の未熟さや弱さと向き合うことになるから、痛みもある。でもそれを避けていると、いつまでも自分で自分のことがわからず、自分がどう生きたいのかすら見えなくなり、気づけば他人の期待や社会のノイズに一生流されるようになる。

 

 「お金があれば」、「時間があれば」、「あいつがいなければ」。自分と向き合うことをサボった人間はそうやって外側の問題ばかりに原因を求める人は多いが、実際には「内側の未整理」が外ににじみ出て、トラブルや不満となって現れていることの方が多い。

 

 だからこそ、自分と向き合っている人は、それだけで一歩抜けて見える。表面的に派手なことをしていなくても、静かで芯のある強さを感じる。それは、自分の感情をないがしろにせず、ちゃんと聞き取って、選択の糧にしているからだと思う。自分を知るとは、感情を飼い慣らすことではなく、そこに耳を傾けること。その姿勢が、自分の人生を自分の足で歩くための、最初の一歩になるのだと思う。