「偏見」は人を負のスパイラルに陥れる。たとえば、失敗して少し人生が下振れする。すると他人から「余裕のないヤバいやつ」と思われて警戒される。人が離れ、情報や協力を得られず、チャンスを失い、さらに苦境に陥る――というように、負のスパイラルが始まる。
こんな例はたくさんあって、貧困地域やボロボロのアパートに若い女性が一人で住まないのは、そういう「偏見」がもたらす負のループの例だと思う。別にすべての若い女性がそういう地域や物件に実際に住んでみて、実際に危ない目に遭ったから避けてるんじゃない。「危ない人が多く居そう」という「偏見」から、危ない目に遭わないためにそういう場所を避けているんだと思う。そしてこの判断は妥当だと思うし、当然こういう判断をする若い女性が悪いということはない。
そして皮肉にもその「偏見」がそれを現実に変えていく。そういう「偏見」を持たれる地域や物件では、「偏見」によって「本当はまともな人」ほど、出会いのチャンスを失ったり、信用にキズがつくことになるので、早晩に出ていくことになるし、新しく入ってくることもない。すると、結果的にそういう地域や物件は「本当にヤバい人」のたまり場になる。おそらく原初の状態ではどの地域にも一定の割合で「まともな人」と「ヤバい人」がいたんだと思うが、そういう「偏見」によるデメリットで人口比が変わっていったんじゃないかと想像している。(原初の状態なんて知りえないけど)
ちなみに筆者も、今は『レオパレス』に住んでいるので「偏見」については気を付けたい。。『レオパレス』運営会社の人たちが頑張ってくれてるけど、日常的にかなり散らかったゴミ捨て場を見れば「まともな人」が住んでるとは想像できない物件だから。。
問題なのは「偏見そのもの」よりも、「偏見を持たれたことによって長期的にデメリットが積み重なる構造」ってことだと思う。だからこそ、自分が「偏見」の対象にならないようにするための戦略が必要になる。
筆者が考えている「偏見」への対策は、「中身を育てる」、「外見を整える」、「自分で説明する」の3つだ。具体的には以下の通り。
- 「中身を育てる」:余裕をもって生きられるように日々の4大リソース(お金、時間、健康、人間関係)の管理を怠らず、「本当にヤバい人」にならないようにする努力。
- 「外見を整える」:社会的に「ヤバそう」に見えないような印象を意識して作ること。
- 「自分で説明する」:自分の世界観やリソースの状態を自分の言葉で説明して「自分が危険な人物ではなく、余裕のある人間であること」を説明する。
もちろん、「偏見」を持たれるのは理不尽だと思う。でも、理不尽に文句を言ってもほとんどの場合、効果がない。他人を変えるのは難しいから。ならば、自分にできることは偏見を持たれないように動くことしかない。できることをやっていこう。そして、このブログを書くことも、この3つすべてを実践していくことであると思っている。