消費はババ抜き──「経済を回せ」と言われたのに、今は「そんなのに金使うな」って言われてない?

 「消費」という行為には、どこか「ババ抜き」のような構造があると筆者は思っている。景気が良いときは「どんどん使って経済を回そう」といった空気が強まり、消費する人が称賛される。けれど、不況になると一転して「そんなものに金を使うなんてバカだ」と冷ややかな目が向けられる。まるで、音楽が止まった瞬間に椅子を奪い合う、椅子取りゲームのようだ。

 

 厄介なのは、そうした空気を作っているのが政治や企業ではなく、もっと曖昧な「世間」や「SNSの声」、つまり「ババ抜き」の参加者たち自身だという点だ。煽っておいて、いざとなれば切り捨てる。ババを持たせた側が、今度は「自業自得だ」と言い出す。2025年時点で言うと「変動金利の住宅ローン」が象徴的。その身勝手さに、正直うんざりしている。

 

 もちろん「誰かの支出は誰かの所得」だという経済の仕組みは理解している。だがそれを理由に、借金をしてまで無理な消費をする必要はない。筆者はただ、収入の範囲で、無理なく楽しく暮らしたいだけだ。浪費しないのはケチだからではなく、このババ抜きゲームに巻き込まれたくないからである。

 

 とはいえ、この「ババ抜き」は構造的に「止められない」という問題がある。基本的に「ババは消えない」からだ。もし皆が一斉に収入の範囲で堅実に暮らし始めれば、全体の支出が減り、それに伴って誰かの所得も減る。結果として、これまで大きな支出や借金を前提に生活していた人たちは立ち行かなくなる。しかも、今のグローバル経済では、簡単に徳政令のような救済策を出すわけにもいかない。だからこそ、ババを引き続ける誰かが必要になるという、救いのない構造がある。

 

 筆者が望むのは、このゲームに参加するかどうかを自分で選べる状態であることだ。誰かにババを押し付けることも、自分が引かされることもせず、少し距離を取って、静かにその構造を見つめていたい。勝ち負けの枠組みから離れ、自分が納得できる暮らし方を選ぶこと。それだけでも、今の世の中では十分に価値ある行為なのではないかと思っている。

 

参考

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