信用は「損切り」できる範囲で──業者から学ぶ人間関係のリスク管理

 最近、「信用取引」を勧める広告をやたらと見かける。まぁ確かにお金を使う者にとっては無関係とはいえないが、そんな雑な狙いでいいんだろうか。まぁ乱射しても良いくらい広告の費用対効果が高いんだろうけど。正直、下品だなと思う。

 

 もちろん筆者は「信用取引」を始める気はないが、この広告を見て、人間関係における「信用」も同じように考えたほうがいいのでは、と思った。つまり、個人として誰かを信用するときも、業者を見習って「裏切られるリスクを管理しながら行うべきだ」ということだ。

 

 たとえば、クレジットカード払いや家賃の後払いなど、日常には「信用」を前提にした取引がいくらでもある。それが成立するのは、支払い能力や過去の実績といった裏付けがあるからで、業者は仮に裏切られても致命傷にならない範囲でしか信用していない。これこそが「信用取引」の本質だと思う。

 

 この考え方は、ビジネスだけでなく私生活にも応用できる。たとえば子育てのような大きなプロジェクトでは、周囲の支援を安易に当てにするべきではない。もし「お金を出すって言ったじゃないか」、「同居していいって言ったじゃないか」といった約束が反故にされれば、人生設計そのものを大きく見直す羽目になる。実際、筆者の両親は祖父母にこの「ハメ」を食らって、だいぶ苦労していた。 

 一方で、「今日の晩飯はおごるよ」程度の約束なら、仮に破られても損失はせいぜい5,000円ほどで、裏切られても痛くもかゆくもない。筆者は実際に大学時代にこの「ハメ」を食らった。金額はたいしたことがないが、会計直前で逃げるように立ち回った相手の態度を見て、「もう付き合う価値はないな」と判断して縁を切ったが。。

 

 こうして見ると、どれだけの損失を許容できるかという「リスク許容度」が、他人をどこまで信用できるかの基準になる、と言っていい。自分の「リスク許容度」を超えて「信用」すれば裏切られたときに悲惨な状況になるが、「リスク許容度」の範囲内なら痛くもかゆくもないし、その裏切りを学びに帰ることもできる。

 

 ただし、信頼関係は常にリアルタイムの等価交換で成り立つわけではない。ある時期に多くを渡し、時間をかけて返ってくるような関係もあるからややこしい。これは金融で言えば「レバレッジ取引」に近い。当然ながら、期待先行の分だけリスクも高まる。株式投資でもレバレッジは上級者向けのオプションだ。初心者が気軽に使っていい手段じゃない。

 

 人も変わるし、状況も変わる。「どうせ返ってくるだろう」と期待して差し出すのは危うい。また、「貸し=無償の信頼」と解釈して、感謝も返報もしない人もいる。そういった相手と付き合うなら、あらかじめ損切り可能な範囲にとどめるのが無難だ。

 

 だからこそ、対等で気持ちのいい関係を築くには、「どれだけ与えるか」ではなく、「失っても平気な範囲で与える」という感覚が大事になると、「借金をススメてくる危ない広告」を見て思った。