就職活動を進める中で痛感しているのは、「傷病による休職で約2年のブランクがあること」や、「業務負荷が低めな仕事を希望していること」が、極めて不利に働いているという現実だ。
そもそも、負荷の軽い仕事自体が市場にほとんど存在しないし、あっても倍率が高いか、そもそもブランクの時点で書類選考からはじかれる。エージェントも最初こそ何件か案件を出してきたが、こちらが条件に合わない案件を弾き続けると、だんだん「不良在庫」として相手にされなくなってきた。しかし、これは当然のムーヴ。エージェント側からすれば、成果報酬型のビジネスモデルなので、売れない在庫に時間をかけ続ける理由はない。
筆者は単にこの現状を嘆いているわけではない。実際、エージェント経由での就活なんてどうでもいい。嘆かわしいのは、ここから見えてくる構造、つまり、会社に依存している限り、人生の選択肢は企業都合にロックされるという事実である。キャリアが一度でも途切れれば不利になり、働き続けなければ「商品価値」が落ちる。病気になっても十分に休めず、しんどくても実績にならない楽な仕事を選ぶことは許されない。それが「労働市場」というフィールドの掟だ。そして、これは別に企業が悪いわけではない。会社だって「スキル・実績・体力ともに一番使える人材」を選びたくなるのは当然だし、むしろそうあるべきだろう。問題なのは、その構造に人生の全てを預けている側なのだ。
この構造から自由になるには、労働そのものに対する依存度を下げるしかない。そのためには労働者として干されても問題のない「後ろ盾」が必要になる。金融資産、不動産、金持ちの親族など「後ろ盾」は人によって異なる。そして何の「後ろ盾」もない筆者の場合は、ある程度まとまったカネを保持して金融資産を作り、そしてそもそもお金を使わなくても生活が回る仕組みを整えておくこと。この2つこそが、労働という構造から距離を取るための現実的な戦略なのだと、改めて思った。