「まとまっていないもの」に惹かれる理由

 かつて、「インターネットは人間の集合知であるべきだ」と思っていた。たぶん、その時は「他者に伝えることを意図していない奇妙な文章」を読み過ぎて、辟易していたんだろう。でも最近は、その「集合知」の意味が少し変わってきた気がしている。

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 いまや、文字ベースで整理された知識であれば、生成AIに聞けばそれなりにまとまった答えが返ってくる。なので例えば、用語の定義、制度の解説、ノウハウの一覧など、そういった「整理された情報」をわざわざ人間が書いた「文章」から拾いに行くことは、最近はほとんどしていない。

 

 けれども、「文字としてまとまっていない知識」、つまり、誰かの体験、偶然の気づき、失敗の記録、意味のまだ定まっていない感情など、そういった「整理されていない何か」は、いまだに人間にしか発信できない。そして、いまの筆者が面白いと思うのは、まさにそういう情報だ。

 

 この種の情報は、まとめられた「答え」ではない。むしろ、断片的で、整理されていないからこそ価値がある。経験の垂れ流しだったり、考察している風でも実際には、「こういうことがあったんだよね」という投げっぱなしの情報だったりする。そして、見る側は、それを咀嚼し、自分の中に取り込んで、勝手に何かに変えていく。まさに「読み手次第」でしか価値が決まらない情報。

 

 見ようと思ってもなかなか見つからない、かつ、見ても何が得られるかはわからない。そういう曖昧で不確かなコンテンツに、最近は強く惹かれる。ノイズも多いけれど、だからこそ刺さるときは深く刺さる。インターネットの雑多さに、改めて価値を感じている。

 

 最近は以下のチャンネルからそういう情報を得ている。だいぶお気に入り。しかし、ブログではこういうタイプのコンテンツは見つかりにくい気がしている。やっぱり文章にしちゃうと、言葉を選んだり、結論に向けて方向性を付けちゃったりと、「まとまらざるを得なくなる」という制約ができるからかもしれない。

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