広告は価値提供とセットで成立する──炎天下のバス停で考えたこと

 先日、7月分の失業手当の手続きをしに出かけた。この手続きは毎回やたら時間がかかるので、なるべく空いている時間に行こうとしたが、なんやかんやで結局昼過ぎに出発することになった。真夏の炎天下、一番暑い時間帯の外出は地獄だ。ハロワまで自転車で片道1時間は無理なので、バスを使うことにした。お金はかかるが、炎天下を自転車で走るコストを考えれば安いもの。。いや、『ブックオフ』で漫画2冊分と思うと少し惜しいか。。

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 バス停で待っていると、近くのカフェの店主らしきおっさんがチラシを配っていた。汗をかきながら立っている自分に、おっさんは紙切れ一枚だけを手渡して去っていったのだ。「いやいや、チラシだけかよ!」と内心ツッコんだ。炎天下に立っている人に営業をかけるなら、氷水の一杯でも一緒に渡せば印象は100倍良くなる。氷水の原価は数円だし、受け取った人は「この店いいじゃん」と思うはずだ。なのにおっさんは、紙を配るだけで満足している。この時点で店への興味はゼロになった。

 

 今の時代、広告は「価値提供」とセットで初めて成立する。テレビやYouTubeは価値のあるコンテンツを提供するから合間に広告を見てもらえるわけ。広告は見てもらって当然、ではないのである。おっさんのやり方は昭和営業そのまま。「チラシをばらまけば客は来る」と信じているのかもしれないが、結果は逆効果だ。実際筆者はその瞬間、「この店には絶対行かない」と決めた。というかもう店を視界にも入れない。

 

 特にカフェのように「嗜好品」を売る商売では、細かい場面で顧客の心をつかめるかどうかが肝になると思う。だって黙ってても売れるような「必要なモノ」じゃないんだもの。氷水一杯で相手の気持ちは動くのに、それをしない。むしろマイナス印象だけを残した。おっさんは「応報性」という言葉を知らないのか。

 

 もっとも、自分はそもそもカフェにあえて行くような浪費家ではない。むしろ生存にリソースを全振りする緊縮財政主義者だ。でも他の人には効くと思うから「氷水戦略」はやったほうがいい。だって日陰のない炎天下のバス停で立ってるところに氷水が要らない人なんていないっしょ。そんなこと思った夏の昼だった。 

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