筆者は社会に出たのが26歳と遅く、大学を出た24歳(これも遅いが。。)のころから両親に「独立しろ」と言われ続けてきた。そして35歳の今、時間・体力・お金に余裕があり、気に入らない仕事はしない、会いたくない親族には会わない、つまらないことに時間を使わないなど、両親を含め、いろんなものから「独立」し、心地のいい「自由」を手に入れた。これからもこの「自由」をフルに使って生活をするつもりだ。
筆者が両親の目論見通りに「独立」した結果、20代前半に家族へ「寄生」していた頃よりも、家族や親族との交流は圧倒的に減った。家族から見ればあまり良い変化ではなかったかもしれない。彼らはこれからあらゆる面で「要り用」になるからだ。そう考えれば、むしろ「独立しろ」と追い出すより、一緒に暮らして寝床と飯を提供し、こちらを「依存」させたほうが、長期的には安定した労働力などとして使えたのではないか、と思うこともある。
「依存」という言葉には弱さや甘えのイメージがつきまとう。しかし、実際は安定して成果を出している家族やチームほど、お互いに得意不得意を補い合う形で「依存」している。これは効率的な役割分担でもある。
一方で「独立」の本質は、収入やスキルを通じて市場から必要なものや人を「選んで」手に入れられる状態になること、つまり「どこに依存するかを自分で決められる特権」を持つことだと思う。
しかし、誰もが「独立」し「自由」を得ると、選択は市場化し、競争が生まれる。競争が生まれると、人は「より条件の良い相手」を選ぶようになる。すると、それまで家族や地縁、社内の序列といった「義務的なつながり」で続いていた関係は、条件で比較される市場の中では優先順位が下がる。さらに、自由市場で手に入れた「契約ベースの関係」は安定性に欠け、いつ切られるか分からない不安もつきまとう。結果として、「自由」を持たない人ほど不本意な義務的関係に縛られたり、必要なモノが得られないという構造ができる。
だからこそ「独立=一人前」という価値観は盲目的に信仰するもんじゃないと思う。むしろ「役割分担を通じて誰かの力になること」を一人前としたほうが、多くの人が恩恵を受けられるのではないか。「独立」して「自由」に生きる筆者はこんな風に考えている。