奪い合いの構造と、不自由になる一貫性の話

 世の中には「限られたリソースをめぐる奪い合い」が常に存在している。『switch2』の抽選や米の値段、議席や領土の争奪まで、規模こそ違えど同じ構造だ。個人も組織も国家も、欲しいものがあれば争わざるを得ない。が、そして争いには必ず代償がある。『switch2』なら、アホみたいに並ばされたり、買うためにいらない謎のクレジットカードを作らされるかもしれない。家族でもそれぞれが「自分の時間」を作るために労働をなすり合う。さらに、もし奪い合いが「戦争」なら命と生活を失うかもしれない。正直、うんざりである。

 

 一方で、「欲しい人がリソースより少ない状況」では戦いは起きない。だから筆者は常に「旬を外す」ことを選んできた。PS5の時代にようやくPS4をやるし、そもそもなんであれ、並んで買うような行為には加わらない。それで十分に楽しめるし、戦わずに手に入れる方がコストが安いし、入手難易度も低いので、理にかなっているからだ。

 

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 ちなみに、2025年時点のPS3ソフトは高い。。関東では特に『ブックオフ』が最安値270円を撤回して、強気に攻めてきている。これは困った。まぁ買わなきゃいいだけの話で、やつらは在庫を抱えるコストを日ごとに払っているので、そのうち放出してくるはず。

 

 とはいえ、筆者のこの立場は「奪い合いそのもの」に依存している。生産者同士のシェアの奪いと消費者同士のモノの奪い合いがあるからこそ、中古市場や型落ちの恩恵を受けられる。もし、これが「計画経済化の共産主義国家」なら、30年くらいは『PS3』が現役だったかもしれない。つまり筆者は、奪い合いを忌避しながら、その奪い合いの成果を享受しているのである。だから完全に否定することもできない。ちなみに、オープンソースも福祉制度も同じで、争いを緩和するように見えて、実際は別の場所にコストを転嫁しているだけだと思っている。(そのうち記事にしよっと)

 

 ここまでの筆者の態度は整理してみると、「構造を理解した上で静かに立ち回り、恩恵だけを受ける」か、「その歯がゆさに耐えられず、奪い合いを最小化する仕組みを唱える」ということになると思う。ここでどっちかの立場を選ぶことを考えがちだが、実はそれは罠である。

 

 何事も大事なのは「一貫性」ではなく「程度」で考えることだと思う。一度ポジションを決めてしまえば、その立場を守るために思考が硬直する。しかし柔軟に「どの場面でどの程度戦いに関わるか」を調整すれば、不自由にならずに済むし、おそらく他人の立場にも寛容でいられる。

 

 「奪い合い」とそれを取り巻く構造はたぶん変わらない。ただ、その中で「どの矛盾を抱えながら生きるか」を選び取る自由こそが、筆者らの居心地の良さを決めるのだと思う。