最近、妻の弟さんの話を聞いた。なんでも、妻の弟さんの世帯は、「あんまり法律を守らない内装屋さん」で週6日労働で世帯年収は40万円ほどで、稼いだお金はだいたい全部使うみたいなので貯金はほぼゼロの状態。さらには半年後には第一子が生まれるという。子どもができること自体は喜ばしいけれど、現実的に考えると、その生活には一片の余裕もない。働いても貯まらず、時間もなく、改善のための思考さえ奪われる。
一方の筆者は、幸いなことに現在は月に100時間だけ在宅で働いて25万円を稼ぎ、以下の家計簿に基づいた支出で考えれば、資産は「10年くらいは働かずに生活できるくらい」にある。支出についても労働量を減らしても生活が回るように設計し、時間・お金・体力に「余白」を持たせている。その一方でいわゆる「DINKs」だけども。
この差は、「努力や才能」というよりも「人生の設計思想の違い」だと思っている。筆者は「どう生きたいか」というゴールを先に描いてから、そこに必要な仕組みを組み立ててきた。対して妻の弟さんのように、目の前の仕事や出来事を「点」で処理する生き方では、「点」を繋げる作業をしない限りは未来を描くことはできない。
実際、妻の弟さんのように生きている人は珍しくない。そういう人たちに筆者が「その生活を10年続けたらどうなる?」と問えば、「そんな先のことは知らん」と返される。話が噛み合わないのは当然だ。筆者は「構造」を見ていて、そういう人たちは「瞬間」を見ているから。
それでも筆者は、この「余裕」を守りたい。別に話が合わなくても構わない。いつの世も、未来を設計できるだけの時間と心のゆとりこそ、生き抜くための最大の資産だと思うから。