「余裕」を価値に変える力

 「余裕」を「退屈」や「ヒマ」だと勘違いしている人が多い。筆者にとって「余裕」とは、「外的な圧力から解放され、自分で決められる状態」である。そのために時間・お金・体力といったリソースを十分に持つことは必要条件だが、それ自体はあくまで「前提」に過ぎない。

 

 問題は、多くの人が「余裕」の使い方を知らないということだ。時間が空けば予定を埋め、金が入ればすぐに使い、体力が余れば無理に動く。結果として、せっかく手にした「余裕」を、元の忙しさ、つまり外的な圧力にさらされた状態へと自ら引き戻してしまう。

 

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 なぜそんなことになるのか。それは、「余裕」そのものが人を楽しませるわけではないからだ。「余裕」はあくまで「素材」であり、そこに価値を吹き込むには別の力が必要である。筆者はそれを「内製力」と呼んでいる。

 

 「内製力」とは、自分の内側で楽しみや意味を生み出す力のことだと考えている。たとえば自炊に熟練した人は、外食に頼らず、自分で食べたいものを作る。自分で素材を選び、自分好みに味を調え、さらには過程を楽しむ。その力がある人にとって、「余裕」は楽しい創造の場になる。一方、内製力のない人は、「余裕」があっても自分では何もできないため、常に外部の刺激を求め、流行やサービスに依存してしまう。楽しむのにいちいち大きなコストがかかる。

 

 筆者が目指す「自由で幸福な状態」とは、「余裕」を持つことではなく、「余裕」を使いこなせることだ。結局のところ、「余裕」があるときこそ人の中身が試される。退屈を恐れず、自分で世界を面白がれる人だけが、「余裕」を価値に変えられる。逆に、それができない人は、「余裕」など持つべきではない。むしろ他人にやることを決めてもらい続けた方が、まだ幸せに過ごせるのかもしれない。