35年分のデフレでできた心

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 面白い動画を見た。ブログを見てわかる通り、筆者はまさに「デフレマインドの体現者」で、この動画で言われているような完璧な「縮こまり」をしている。

 

 「卵が先か、鶏が先か」はわからないが、1990年生まれの筆者は、生まれたときからずっとデフレの中に生きてきた。経済的に独立するまでは、一時的にではあるが父親が失業したり、「経済状況に関わらず子供が増える家庭」だったので、家庭の経済状況には「普通と悪いを繰り返す波」を感じていた。働き始めてからは常に「限りある資源を効率よく使って生きる」ことが前提になっている。実際、「時間とともに給料が上がる」ということはなかったし、「食えるスキル」とされているモノが5年後もそうであるか、だいぶ怪しいということが分かったからだと思う。

 

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 この感覚は、まるで「フィールドが時間経過で少しずつ縮小していくバトルロワイヤルゲーム」みたいだと思う。毎年、できることが少しずつ減っていく。

 

 だからといって、政治や経済を恨む気持ちはない。それは「実体があるようでないモノ」で、偉そうな顔した政治家のことでもあり、仲の良い友達のことでもあるからだ。恨むにはあまりにも大きすぎる。もちろん、社会に声を上げることも大切だが、それよりもまず自分の生活を守るほうが現実的だと思うからだ。

 

 そんなデフレ時代を35年生きてきた身としては、「宵越しの銭は持たない」的な生き方を格好いいとは思えない。むしろ、「あぁ、生き急いでるな。後で大変そうだな」と感じてしまう。自分のブログを見てもわかる通り、筆者は「安定した生存」や「不幸の回避」に重きを置き、欲望を膨らませて生活を広げることには興味がない。家も、車も、子供も、持たないのである。

 

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 ただし、これを社会全体の正解とするのは危険だとも思う。皆が一斉に節約と効率化に走れば、動画の通り、需要が縮小し、生産力も落ちる。そうなれば「今あるモノで何とかするスタイル」も「今あるモノ」自体が減るのでは生存の難易度が上がってしまう。これは今の自分には合っていてるというだけで、全体にとっての最適解ではないのだ。そして、そんな筆者を批判するように、「今だけ、金だけ、自分だけ」という風潮を悪とする今の社会には、少し希望を感じている。

 

 もしかしたら、「成長か衰退か」の二択ではなく、「脱成長」という柔らかな答え方もあるのかもしれない。どんな未来が来るにせよ、焦らず、今日も静かにデフレマインドを軸に生きていこうと思う。

 

 

 ちなみに、先日、ハロウィンセールで2015年発売のゲーム、『Bloodborne』をDLC込みで2,200円で買った。発売から約10年待てばこんな小銭で素晴らしいゲームをプレイすることができる。そして筆者はいくらでも待てる。こういうのがデフレマインドなんだろう。