『「競争によって豊かになる」は勘違い!努力するからこそ社会が衰退していく理由』の感想
本記事は以下の動画を見た感想。
競争社会の行き着く先と個人がとるべき生存戦略
モノやサービスが増えない競争は社会を豊かにしない
上記の動画の通り、現代社会の競争は、もはや「生産性を高めるための競争」ではなく、「貨幣の分配権をめぐる競争」になっている。企業も個人も、生産力を競うのではなく、「いかにシェアを独占し、他者を市場から排除するか」に必死になっている。しかし、この競争の行き着く先は、社会の発展ではなく、むしろ「競争に敗れた人を淘汰することによる社会の縮小」である。
なぜなら、競争は敗者を排除する。そして、競争の敗者が増えると、市場の縮小や社会不安が進行し、最終的には人間社会は「秩序の無い原初の自然状態」に戻っていく。これはまるで、文明が崩壊した『ウォーキング・デッド』の世界のようなものだ。ここからは競争の勝者であっても逃れることはできない。
「貨幣の分配権をめぐる競争」を止めることはできない
残念ながら、この競争を止めることは個人、あるいは一国という単位でもできない、と考えている。なぜなら競争はある集団や国単位ではなく、人類規模で行われているため、どこか一国だけが競争をやめても、他の競争を続ける国に、時には「暴力的に」飲み込まれる運命にある。具体的には「お金のある国が、お金のない国を、お金で買った兵器と軍隊で攻め落とす」みたいな、ここ最近(2025年時点)では普通にあること。
「何をするにもお金がいる」という現実が競争を助長させる
「社会の維持」を個人レベルで考え、実行しようとすると、それはむしろ競争を助長することにつながってしまう、という問題もある。例えば、子どもを育てることは社会を支える行為だが、それには競争で勝つことによって得た時間やお金といったリソースが不可欠だ。だから、それをやるためにまずは「貨幣の分配権をめぐる競争」でいいポジションをとってから、婚活=>結婚=>出産=>育児をする。多分これだけで20年くらいは競争の中にいなきゃならなくなる。
結局、社会を維持するために動けば動くほど、競争の流れに巻き込まれる。しかし、逆に競争から降りれば降りるほど、その社会は経済的に縮小し、いずれは他の競争社会に吸収される。これは「社会を守るには競争が必要だが、競争は社会を崩壊させる」というパラドックスだ。
「貨幣の分配権をめぐる競争」にほどほどに関わり、かつ、競争を助長しない個人の生き方
一部の人々は、意識的にかどうかは別にして、「貨幣の分配権をめぐる競争」の激化に抵抗し始めていると思っている。「FIRE(早期リタイア)を目指す人々=これ以上積極的に稼がない人」や、「ミニマリスト=お金を使わない人」、「自給自足を選ぶ人々=買わずに自分で作る人」のムーヴは、「競争を激化する燃料」にならないことにつながっている。彼らの行動は、競争を減速させ、社会が急激に崩壊するのを防ぐ効果があるかもしれない。
「競争の否定」は広まらない
上記の動画の通り、根本的な問題は「人間の認知バグ」にあると思っている。人間は、競争で勝った者を正しいと認識し、敗者を無能と見なす傾向がある。このバイアスがある限り、「競争しないことの価値」は広く受け入れられにくい。だからこそ、「競争しない人を支える社会の仕組み」が作られにくいし、作られたとしてもすぐに否定される。「無職」や「自給自足で生きてる人」、「専業主婦」なんかがリスペクトされた時代なんて、たぶんない。
この問題を解決するために、「アルゴリズム政治家」のような、こういう「人間の負のバイアス」を排除して社会を維持する仕組みが構想されている。しかし、これも結局、社会が崩壊の危機に瀕しない限り、競争が大好きな人間は受け入れようとしないだろう。
個人としてどう生きるべきか
結論として、筆者がこのブログでさんざん言っているように、最適な戦略は 「競争を助長せず、かつ、個人として毎日楽しく生きる」 ことだ。
個人が社会の維持を考えても、結局、リソースを稼がなければならず、競争を促進することになってしまう。しかし、競争を可能な限り避けつつ、個人として楽しく生きる選択肢を模索することで、競争の燃料にならずに済む。そして、それが結果的に、社会の崩壊を遅らせることにつながるかもしれない、と思っているのである。
具体的には、
- 過剰な消費をしない(市場競争の燃料にならない)
- 競争に巻き込まれないスキルを持つ(「自分で作る」等で市場に依存しすぎない)
- お金よりも時間を重視する(競争の加速を避ける)
- 競争しないコミュニティを作る(お金を介さない協力で問題を解決する)
- 「社会のために」ではなく「自分が楽しいかどうか」を基準にする
なんだか、「貧乏な村社会での生活」をイメージしてしまうが、それは筆者の考えているイメージ通りである。
結局のところ、競争の激化を止めることは難しい。しかし、個人として「競争に加担しない」選択をすることは可能だし、それは競争の激化を遅らせる役割を果たす、と思っている。競争は参加人数が多くて、勝利に対するモチベーションが高いほど激化するから。
だからこそ、筆者たちは「社会のために競争して生きる」のではなく、「競争せずに自分のために生きる」ことこそが、結果的に社会を持続させる道になるという逆説を受け入れる必要がある。
社会を維持しようとするほど、競争を助長する。
競争を助長しない生き方こそが、社会の崩壊を遅らせる。
さて、この矛盾の中でどう生きるか?
筆者の答えはシンプルで、「競争を助長しない範囲で、毎日楽しく生きる」、 それだけでいいと思っている。