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自分の世話もできないのに子供を欲しがる無謀さについて

自分の世話を100%満足にできているだろうか

 自分一人で自分が必要な生活費を稼ぎ、必要な家事を行い、必要な心身ともに健康な状態を維持し、社会で食いっぱぐれないポジションを維持し続ける競争を不足なく行う。

 これを100%不足なく、充分にできていると言えるだろうか。

 これができている人はほとんどいないと思っている。

 しかし、生きていくにはどれも必要なことである。必要な分ができていないと、その者の生活は徐々に崩れていく。

 30歳を越えてくると、必要なことができていないがゆえに生活が崩れ始めている者を目にする機会が増える。

 例えば、金銭管理を間違えて必要な生活費が稼げずに借金を始める者、必要な家事ができずにゴミ屋敷のような不衛生な環境で生活する者、健康管理ができておらず肥満、もしくは痩せすぎる者、また心を壊してしまう者もいる。

 筆者の観測範囲では、誰もが必要な何かを欠き続けている。そしてその代償がどんどん膨れ上がっていくのがわかる。

自分の世話もできないのに世話する対象を増やせばどこかで破綻する

 自分自身の世話も満足にできないのに、子供を作ろうとする。特に30代はそれが顕著な年齢である。

 当然子供の世話は大変である。たくさんのリソースを持っていかれる。

 しかも、当然ながら子供はこちらのリソースに合わせて要求するリソースを変えたりはしない。子供は自分が必要な分だけのリソースを親に要求してくる。当然のことである。

 しかし、前述の通り、リソースを余らせている者はほとんどいない。一般的に親になる年齢である20~30代の者であれば、むしろリソースは少ないはず。お金はないし、仕事は忙しいだろうから。

 そういうリソース不足な者たちが、さらにリソースを削るように子供を作る。

 そうなれば親と子供共にリソース不足で徐々に破綻していく。

親族の確実な協力を前提に100%を目指せるなら問題ない

 両親と子供一人でも100%満足に「各自の持続可能性を維持するリソース」は足りていない。

 ならば、破綻を避けるために家族を運営する頭数を増やさなければならない。

 ここで効果を発揮するのが親族だと思う。親、兄弟、親戚などの縁者を使って相互に協力すればリソース不足の解消に希望が持てる。

 しかし、それも実はなかなか難しい。

 社会で生きている以上、例えば「お金持ち」などの「すでに絶対的な有利ポジション」についた者以外は、「競争」にリソースを割かねばならないからだ。なので、頭数を束ねてもリソースの余剰は生まれにくい。(もちろん多少は「マシ」になるとは思うが。

 さらに、親族といえどもつながることすら困難だと考えている。「競争」に熱狂してつながりがぶっ壊れた社会では親族とはいえ協力は難しい。そういう長期的には得するかもしれない協力をするくらいなら今成果が出る「競争」に精を出した方が得をする可能性が高いからだ。

 結論、「お金持ちで、暇を持て余していて、家族運営の能力がある親族」が生活に協力してくれない限り、子供産んでしまえば生活はさらにキツくなり、家族の破綻スピードを早めることになるだろう。

生活が破綻することは家族にとって不幸なので子供は作らない

 家族もろとも生活が破綻することは間違いなく不幸だと思う。そんな目には遭いたくない。

 ならば自分自身が自分と他人を養える「豊潤なリソース」を持っていない限りは、子作りや協力などの「余計なこと」はせずに、引き続き「競争」で有利なポジションを狙った方が個人としては少なくとも「不幸」にはならないのではないか、と考えている。

 もちろん、この「個人にとって良いこと」は「社会にとって良いこと」ではないので、長期的には社会に生きている筆者個人も痛い目を見るかもしれないが、まぁ知ったことではない。