『恐れを抱いて生きる人間は、人生を半分しか楽しめない』
映画『ダンシングヒーロー』より。
全くその通り。
恐れを抱いて生きるものは何事も半分しか味わえない
自分の解釈では、映画「ダンシングヒーロー」の『恐れを抱いて生きる人間は、人生を半分しか楽しめない』は『恐れを抱いて生きるものは何事も半分しか味わえない』ということを言っているのだと思う。
物事は人生を全振りするくらいじゃないと、それを100%味わうことはできない。
ゲームでも、格闘技でも、音楽でも、プログラミングでもなんでもそうだ。
そして、人生を1つの物事に全振りすることは、恐れを抱いて生きている者にはできない。失敗したときに、「失敗による負債」を抱えて、人生の取り返しがつかなくなることを恐れているからだ。
自分もまさに恐れを抱いて生きている者だ。
自分は格闘技が好きで執筆時点では約7年間やっているが、その間「プロになろう」、「チャンピオンになろう」、「世界一強い選手になろう」なんて考えたことは1度もない。「会社員をやりながらだったらせいぜいアマチュアの試合で善戦できれば十分でしょ」なんて前提でやっている。そしてその前提通り、実力はアマチュアの試合で善戦する程度だ。
何かの片手間に物事に取り組んでいると、こういう「ここまででいいや」という線をしてしまう。
物事に人生を全振りしている人は、「ここまででいいや」なんていう線は引かない。人生最後の時間まで高みを目指して物事に取り組むからだ。限界などない。
物事に人生を全振りした人は、結果的にその物事の100%を「楽しんだかどうか」はわからない。辛いことの方が多かったかもしれない。しかし、辛いことも含めてその物事の100%を「味わった」とは言えるだろう。
片手間でやってることは何事も半分しか味わえないという理解はしておく
片手間にやってるくせに、その物事を100%味わった気になってしまうのはもっとも不幸なことだと思う。
何事もそんなに底は浅くない。
その物事に人生全振りできるかどうかは別として、これはわかっておいた方がいい。
何事も半分しか味わえない人生でいいのか
物事を100%味わうには、人生を全振りする必要がある。しかし、それは失敗したとき、あるいは、その結果が自分の理想と違ったときには、もしかしたら後悔をすることだろう。自分が支払ったコストとその結果があまりに理想と離れていたら、そのとき自分をどう納得させたらいいだろうか。考えただけで恐ろしい、と半分しか味わえない立場の人間は思う。
やりたかったこと、もっと突き詰めたかったこと、下手くそだったけどそれをやっているだけで楽しかったこと。こういう物事を100%味わうことを諦めて生きる。これでいいのか?
こういう疑問は常に持ち続けたい。でも100%を味わいたいなら、それを始めるのはきっと早い方がいいぞ。