- 2024/06/27日記メモ:お金を払ってブログを書く意味を考える
- 「捨てる」のは最初だけだと思う
- 脳にストッパーをかけるにもスタミナが必要
- 会社を抜けるために「独立する力」を求めた過去を思い出した
- 信じちゃうと思考や行動が固まる
- 文章のラビリンスの果ての宝
- 反抗期特有と言うわけじゃないかもしれないと焦った
- 妻が屋外でマスクをつける理由
- 筆者が生でスポーツを見られない理由がここにあった
- 「資格⇒目標」は不幸になるための努力
2024/06/27日記メモ:お金を払ってブログを書く意味を考える
『xserver』と『はてなブログ』の契約更新がきた。今回は奇しくも同じ月にきたので合計で約5.5万円である。
筆者はお金を払ってブログを書いている。お金を払うということは、それは「投資」であるべきで、その金額は何らかの形で回収しないといけない、と思っている。それは「広告収入」でもいいし、「やりたいことの宣伝所」でもいいし、色々使い道はある。
大事なのはかけた分の金額以上の価値を生んでるかということ。今期はそれを確かめながら契約期間を過ごしたい。
「捨てる」のは最初だけだと思う
端的に言うと、やはりミニマリズムは病的らしい。
問題に直面したときの不快感を「捨てる」ことで解消しようとするのだが、一時はスッキリするものの、根本的な問題は解決していないため、また同じように問題に直面し続けてしまう。
その度に物を捨てていると、いずれ生活に不都合が生じる。
必要最低限のモノで生きていくのがミニマリズムだと思っている。そういう生き方を始めるにあたって、不要なモノをどうにかするのに「捨てる」。それ以降は不要なモノを買わないから「捨てる」モノはないはず、だと思った。例えば、こんな部屋なら不快感を感じても捨てるモノすらない気がした。
「それを持っていることで問題が起きそうなモノ」も捨ててしまえば、自分が抱える問題も減りそうで、本質的には生活におけるミニマリストはここを目指していそうな気がした。「ただモノを持たない、モノはなんでも捨てる」というのは、もしかしたらミニマリストのすごく表面的な見方なのかもしれない。
そういえば、この画像のミニマリストの部屋は白黒だ。。
「あえて味方を持とうとしない」、というのもミニマリズムの一つの形かもしれないと思った。
味方は作るのに手間もかかるし、立場がはっきりしている分、味方が故に敵にもなりやすい。「敵でも味方でもない他人」はただそこにいる人なので、必要な時に必要な分だけ関わり、その関係性には終始、敵味方の色を持たない。
なんだか筆者が想像しているミニマリズムにしっくりくる生き方だなぁと思った。
脳にストッパーをかけるにもスタミナが必要
疲れているときほど、気になった点が気になり過ぎて人に食らいつく。喧嘩するならこんなときだなぁと思った。考える前に動いてしまう。ストッパーが効かず、怖いなぁ。
これはわかる。。筆者が他人にやらかす時はたいてい疲れている時だった。こういう時は頑張って動き回る分だけ問題を起こすので、疲れたらすべての予定はキャンセルして家で寝れたらいいのにな。
しかし、仕事でデカめな緊急対応を連日してる時とかはそうはいかないよなぁ。こういう時はいつでもチームメンバー全員が疲れていて、怒っている感じがする。でも「みんな帰って一回寝ようぜ!」とはならないからなぁ。残念。。
会社を抜けるために「独立する力」を求めた過去を思い出した
最初の仕事に就いて数年働いていた頃、ふと思った。
私からこの会社を取ったら、何が残るだろうか?何ができるだろうか?と。
めちゃめちゃわかる。。
筆者は内定が出た日からこれを考えていた。必要性で就職した職場だったので入る前から抜けたかったのである。
その後、「独立する力」を求めて何社か彷徨ったが、いろんな仕事を体験する中で、筆者の思い描く独立は働くことでは達成できないと悟った。結局、能力や実績を身につけても、仕事の本質が「誰かの需要に応えること」なので、それ自体に興味がなければ、それは会社でやろうが個人でやろうが変わらないのである。
一方で、無駄なモノは買わない、持たない、欲しがらないし、お金は全力で増やす、みたいな最近流行りの生活習慣の方が筆者の思い描く「独立する力」に近いと思った。
信じちゃうと思考や行動が固まる
人の信じているものや思考や行動を
変えるのは難しいのです
全くその通り。
「信じる」ことのパワーは凄まじいけども、その代償に「信じているモノ」から離れられなくなる。なので間違ったモノを信じると大変なことになる。気をつけねばならない。。
文章のラビリンスの果ての宝
ひとりでも生きていける力が欲しい 必要と言っていいかもしれない
なんなんだろう。筆者も欲しい。
反抗期特有と言うわけじゃないかもしれないと焦った
なんかイライラして、なんでも人のせいにして、、
自分は被害者みたいな気持ちになって、悪い方悪い方に考えて
しまってる感じがするんですね
確かに筆者も反抗期にはこういう「やっかいな態度」でいたかもしれない。。
が、一方で、高校、大学、社会人と歩んできた中で、こういう人はどの環境にもたくさんいたことを思い出した。実際、今も身近にいる。。
これが反抗期限定であればどんなに良かったか。。
妻が屋外でマスクをつける理由
虫の群れは「蚊柱」というらしく、虫はユスリカというしい。とはいえ刺してこない。昔はよく街頭に小さい虫が群がっていたが、私が見かけたのはあれが空中にできたバージョンのようだ。
妻は「密」でない屋外でもマスクを着用している。この「ユスリカ」を口と鼻から入れないためだそうだ。
筆者もこれが「蚊」だと知った今、「マスクをつけねばなるまい」と思ってしまった。。いや、他の虫でも食べたかったわけじゃないけども。。
筆者が生でスポーツを見られない理由がここにあった
理由その4
自分も取り組んでいるスポーツなので、参考のために見ている。
筆者は格闘技をやっているが、格闘技の試合は生で見ない(ただし「付き合い」はあった)し、動画でも全編を通してみることはない。
理由は上記の通り。自分の参考になる部分だけを探して、何度も繰り返してその部分を見る。勝敗なんてどうでもいいし、自分が使えない動きや技もどうでもいい。
しかし、こうなると厳密には、「アマチュアキックルール、サウスポー、蹴り主体、パンチ苦手、長身でリーチが長い、身体が薄い」という特徴の選手以外はあんまり参考にならない。。そんな選手ほとんどいないからなぁ。
「資格⇒目標」は不幸になるための努力
年齢を重ねてからも勉強に勤しむことは素晴らしいことです。ですが、資格が転職に役立つのは本当なんでしょうか?結論から言えば「目標を定めて、それに合致する資格を取る」ことが転職への近道になります。つまり「目標⇒資格」であり、「資格⇒目標」ではないんです。
「資格⇒目標」は勉強してることに安心する人の行動パターンだと思った。
「やりたいこと」なんて職場にはないし、かと言って働かないわけにもいかないから、考えないといけない。でも考えても見つからないし、具体的に考えるほど、その仕事の嫌な部分も見えてきて、働くことにうんざりする。
そういう嫌な部分をあえて見ずに、「資格を取ったらその仕事をする」みたいに考えて勉強をしている人は多いと思う。資格を取ることに集中すれば、気分が落ち込むことを考えずに済むから安心できる。
しかし、これは目を背けているだけで仕事の嫌な部分はちゃんと存在する。それをちゃんと許容できるか検討しないと仮に資格が取れて、仮に就職できても、嫌なことをする毎日が待っている。これは不幸である。