- 不安になったら書く
- 「問題」とは「理想と現実のギャップ」のこと
- 勉強した気になるという「デカめの不幸」の正体
- 「資格」が会社の評価の嵩上げに使えるならアリ
- 「やばい会社」を避けられる余裕が欲しい
- 「軽くて小さくて静か」が正義
- 配当金の良さ
- 昔は「役に立ちたい、役に立たねば!」と思っていた
- 大人になってからの会話も「他人の顔色をうかがって駆け引き」だったりする
- 「投資」について一般化されてきた気がする
- 「生きるための手段」に「命を削る」危うさ
不安になったら書く
不安や心配事は書くことで、自分自身でもその内容をきちんと把握して対応することができる。書き出した時点からすでに対策が始まってるのである。
失敗したらどうしようとか=>どうやったら失敗するんだろうか?
初めてのことだからどうなるかわからないとか=>経験不足がゆえに失敗するのは仕事のどの部分なのか?
うまくできなくてみんなをがっかりさせたくないとか=>「みんな」はどういう成果物や仕事のやり方をきたしてるんだろうか?
心配事を書くことで客観的に見れるようになったら、その不安の正体を探っていく。正体が具体的に分かればその対策も立てられる。
「問題」とは「理想と現実のギャップ」のこと
自分にとって、大切なものでしか、私たちは悩みません。
興味ないモノ、どうでもいいモノについては「理想」を持たないから、その「現実」はどうであれ、かまわない。
「3,000万円がある状態が理想!」だけど「300万円しか持ってない現実」においては、2,700万円が無い状態であることが問題。
こうやって考えると「問題」の正体がわかる気がした。正体が分かれば「問題」に対してどういうアプローチをすればいいかわかる。
勉強した気になるという「デカめの不幸」の正体
教科書を見ればわかるようなことを逐一ノートにまとめておく必要はなく、教科書に書いていないことだけをノートに書いておけば十分なのだ。
ノートの上に「教科書〇〇〜〇〇ページ」とメモして、あとは授業中に得られた教科書に載っていない知識だけを書いておく。
めちゃめちゃわかる。。筆者の学生時代はまさにこれだった。
「勉強」は手段なのに、「勉強」の方法しか考えずに時間と労力を使うから失敗する。学校での「勉強」はテストで結果を出すのが「目的」になるべきなので、「勉強」におけるノートまとめもテストの結果にコミットしないといけない。これがわかってればノートを綺麗にまとめる意味なんてないことはすぐにわかる。はず。。
「資格」が会社の評価の嵩上げに使えるならアリ
ということでCBT方式で受験でき、会社の評価制度に最近追加されたITパスポートの受験を決めた。CBT試験は家族への負担も最小限に抑えられるのも大きい。
筆者も「別にこれ、業務に直結しないからいらなくね?」みたいな資格をいくつかとったことがある。(『ruby silver』とか)それらの資格が具体的に業務にどう役に立ったのかはわからない。たぶん、たいして役に立ってない。だって持ってない人もきちんと業務をこなしてたし。
思うに「資格」には「認定証的なモノ」と「免許的なモノ」があると思う。前者は「一定のカリキュラムを受講し、その理解度が7〜8割くらいはある」ということを証明するだけのもので、後者は「能力があるというお墨付き」なのでその能力が必要な仕事に就くことができる、みたいなやつ。傾向としては、民間資格は前者で国家資格が後者だと思う。
しかし、雑な会社だとその辺の認識がないので、それっぽい「認定証的なモノ」でも給料を上げてくれたりする。しかも受験料も持ってくれたりする。こうなれば受験待ったなしである。
「やばい会社」を避けられる余裕が欲しい
さて、転職すると必ず書類選考、面接がある。この面接で「この会社、やばいな」と感じる瞬間がある。
・履歴書、職務経歴書を読んでいない
・持って来た必要書類の扱い方が雑
・退職理由を気にする→退職理由は、会社が嫌になったから辞めるんであって、そこに時間割いても仕方ない
・応募者の経験を自社の実務と照らし合わせない
・面接官のコミュニケーションスキルが低い
・面接官の態度が横柄
・その場で採用する→人がいないから、来た人拒まず
・年齢、性別で判断する
・事業所内の空気が悪い→職員に笑顔がない、社内が陰気臭い、整理整頓がされていない
・ホームページが生きていない→更新されていない会社は、会社が死んでる
コレ、めちゃめちゃわかる!!
しかし、「早く就職しなきゃ」とか「早く就活を終わらせたい」とか、就職に焦ってしまうと、こういうやばいサインを出している会社に入ってしまったりする。。
やっぱり、「別に就職しなくてもいいから、特別気に入る就職先じゃないと入らない!」くらいのリソース(お金と時間と体力と人間関係)をもって、余裕のある就活をしたいと改めて思った。
「軽くて小さくて静か」が正義
ストックを折り畳むとフォアグリップの代わりになるのも色々と考えられているなぁ、と思います。
動力源が動力源なので発射サイクルと初速は控え目になっていますが、
筆者はこれを買うか迷ってた。。が、屋外メインだった筆者は初速の遅さに見送った。筆者はサバゲで接敵する技術がないので、武器が安定して90くらい出ないと敵を見つけても仕留められない。そういうの他にあればよかったなぁ。
配当金の良さ
インデックスの方が効率がいいとは言っても現金がちょこちょこ入ってくる高配当投資はやっぱり嬉しい。
筆者も2024年からのNISAについては、こういう状況を作りたかったが、断念した。。
インデックス投信への積み立ても5年目に突入したので、「お金を使わない」ということに慣れすぎた感もある。。焼肉か、いいなぁ。
昔は「役に立ちたい、役に立たねば!」と思っていた
あんなに誰にも期待されないで仕事をしないで毎日会社に来るなんて辛くなかっただろうかと余計な心配をした。誰かに頼りにされないってしんどいと思う。自分がここにいていい理由がみつけられないと苦しくないだろうか。
筆者もこうなるのが恐ろしくて、気を揉みながら頑張った、と思う。
しかし、その心理は「無能がバレて会社をクビになったらまずい!」というモノで、別に「会社の役に立ちたい!」という純粋なモノではなかった。
なので、ある程度お金ができて、生活の不安がなくなったら、会社にぶら下がってもいいと思っている。これも立派な生存戦略である。
大人になってからの会話も「他人の顔色をうかがって駆け引き」だったりする
どうせならいい言葉をもらった方が自分も気持ちいいのだけれど。この子たちはどこで本音を語るのだろうと思ってしまう。他人の顔色をうかがって駆け引きばかりが上手くなって行くのだろうなぁ。それはそれで辛くないのだろうか。心配しすぎか?
これが寂しいことのように感じるのはわかる!
が、大人、いや筆者の場合は中学生以降くらいから、「他人の顔色をうかがって駆け引き」な会話の方が、「自分の本音」を言う会話よりも多かったなぁ。そう言うのを大人の側が積極的に求めてきてた気がする。
最近の子供を取り巻く環境では「空気読み」の必要性がより高まっていると聞く。それを事実とすれば、個々人が捻くれてそうなってるんじゃなくて、環境にきちんと適応して進化していると思えて安心さえする。
「投資」について一般化されてきた気がする
以下の記事のようにざっくりまとめると非常にシンプルである、「投資」のやり方。ここまで手軽になった環境に感謝したい。
「生きるための手段」に「命を削る」危うさ
どうかどうか体力と癒しを与えられますように。生きていくための施策のひとつである内職なのに、そのために命を削られたら私、怒りますよ。
めちゃめちゃわかる。。筆者も、筆者の妻もよくこれに陥っている。。
目の前の仕事に集中すると、「生きている自分」を排除して考えてしまう。まるで「生産マシーン」のように。実際、消費者や会社も仕事をこなす人を「生産マシーン」として見るから、壊れたら捨てて入れ替えることを考える。
だから労働者だけはこのマインドを持ってちゃダメなんだよねぇ。自分を守れるのは自分だけだから。改めて肝に銘じるとする!