失敗した人へ自己責任を追求しても意味はない
失敗した原因は、失敗した人の「変えられないステータス」だったり、「周辺的な事情」だったり、いろんな「仕方ない要素」が複雑に影響し合っているので、必ずしも失敗した人に100%の自己責任を問えることはない。なので問わない。
ただし失敗した人の家族は失敗の結果を一緒に受け入れる必要がある
とはいえ、失敗した人に100%の自己責任は問わなかったとしても、「失敗した結果」を受け取るのは失敗した人とその周辺の関係者である。
計画性のない借金を家族の誰かが作ったことで、そのツケを家族が一緒に払う、なんてことはよくある話。
仕事をクビにならない努力ができない一家の大黒柱が、仕事をクビになって、経済的に困窮するのは家族もろとも、なんて話もよくある。
こんな時に家族は、失敗を持ってきた人に、「なんて事してくれたんだ。。」なんて思ってしまう。
失敗した人に100%の自己責任は問えないにしても、やっぱり思ってしまう。
とはいえ、思ったところで家族はその失敗の結果を一緒に受け入れるしかない。(逃げる方法もあるけど。)
家族ができることは自己防衛のみ
失敗した人に責任を問うことはできない。また、それを問うても意味がない。
周囲からの指図で失敗した人が、能力を上げることも、新しい努力をすることも、失敗するような周辺的な事情を回避することも、基本的にはできない。
本人自身がやる気になってもできるかどうかわからないのに、家族という他者がそれをやらせることなどできるはずもない。
では、失敗した人の家族は、失敗した人が持ってきた結果にただただ飲み込まれてしまうしかないのか?
家族は自己防衛ならできる。というかそれくらいしかできない。
他者は変えられないが、自分自身を変えることならできる。
自分の身は自分で守るためのリソースを確保しておく
家族は具体的にどうやって自分を守れば良いのか。
それは自分1人の生活を存続させるためのリソースを確保しておくことである。
そのための、お金、スキル、人間関係、覚悟、生活習慣など、いざという時は家族から離脱しても生活ができるように準備しておけば、失敗した人の持ってきた結果に巻き込まれて自分の生活が破綻することはない。
またそういう備えがあれば、失敗に対しても寛容になれる。
第三者はこれを「冷淡だ」と非難するかもしれないが、生活が破綻する苦しみに比べればなんてことはない。というか外野の感想などそもそもどうでも良い。
自分自身を守るリソースを確保しておくということも、失敗しない努力である。