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「できない・やらない・やる気になれない」は許してもらえるがその結果は受け入れなければならない

無気力な人のイラスト(男性) | かわいいフリー素材集 いらすとや

 

「できない・やらない・やる気になれない」は個人の責任とは言えない場合もある

 何かに対して、「できない・やらない・やる気になれない」のは、「個人の悪意」ではなく、個人の資質や、当時のコンディション、周辺的な事情によってそうなっている場合があり、それは個人ではどうしようもないことだったりする。

 個人でどうしようもない問題の責任を、個人に追求しても意味がない。

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なので「できない・やらない・やる気になれない」自体は許してはもらえるかもしれない

 なので、「できない・やらない・やる気になれない」は個人に責任を問われることはなく、それ自体は許してもらえる。場合もある。

 というか責任を問うても、どうせ「できない・やらない・やる気になれない」のだから責任を取ることはできないので許す以外はない。

 また、個人に責任を問えない場合、他者がやることは自己防衛である。

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ただし「できない・やらない・やる気になれない」による結果は個人が受け入れる必要がある

 ただし、「できない・やらない・やる気になれない」の結果は個人が受け入れる必要がある。

 例えば、それが「できる・やる・やる気のある人」がチームに求められた場合には、そうでない個人はチームから排除される。

 悪い生活習慣をやめることが「できない・やらない・やる気になれない」人は、苦しい思いをして、最悪死ぬ。

 欲しいものを手に入れるための努力が「できない・やらない・やる気になれない」人は、それを手に入れることができない。

 このように、「できない・やらない・やる気になれない」こと自体の責任を問われることはないかもしれないが、それによる「嬉しくない結果を受け入れる」、「欲しかった結果を諦める」ということは個人がやる必要がある。

 

このように考えると妥当な気がした

 そして実際にそうなっている。