- 失敗した人を恨み、避けることで自分の生活を守ってきた
- 罠に溢れた世界では失敗した人を助けないと周りに誰もいなくなる
- その人が失敗した原因なんてどうでもいい
- 助ける方法はお金を渡すだけじゃない
- 日頃から「助けてくれない人」だと思われないようにする
失敗した人を恨み、避けることで自分の生活を守ってきた
計画しない、努力しない、反省しない、学ばない、実行しない。
そのくせ、自分の欲望を最優先して、結果として生活を破綻させ、自分も他人も不幸に巻き込む。
そんな失敗した人を恨み、避けることで、不幸の火の粉がこちらに飛んでこないようにしていた。
これは自分自身の生活を安定させることには寄与した。
失敗した人を「自業自得だ」と無視し、時には突き放して、その尻拭いに協力しないことで自分のリソースを守ることができた。
罠に溢れた世界では失敗した人を助けないと周りに誰もいなくなる
世の中は罠に溢れている。
リソースを効率良く手に入れるには、自分で生産するよりも、広く他人から奪う方が効率がいいからだ。
だから儲けたい人はみんな罠を仕掛ける。
こんな罠だらけの世界では、ある程度の人数が罠にかかってしまうことは仕方がないこと。
筆者の周囲にも年々、罠にかかる人、長いこと罠にかかり続けて傷口が大きくなってきた人が増えてきた。働き盛りの30代は何かと狙われる。
こういう人は、確かに「計画しない、努力しない、反省しない、学ばない、実行しない。そのくせ、自分の欲望を最優先する人」だったかもしれない。
しかし、彼らは恨むべき悪人といわけではない。むしろ気のいい仲間だったりする。
こういう人を、「自業自得で失敗したから」という理由で、恨み、そして避けてしまっては、筆者の周りからは早晩、誰一人、仲間がいなくなってしまうだろう。
それは悲しいことだと思う。
その人が失敗した原因なんてどうでもいい
実際、その人を助けるのに「助けるに値するもっともらしい失敗した理由」なんてものは必要ない。
助けるのに必要なのは「その人が生き残って、自分の仲間でいてほしい」という気持ちだけである。
失敗した原因は、くだらなくて、聞いてて恥ずかしくなるような、どうしようもないことかもしれない。もしかしたら失敗した人は、信じられないような無能で、救いようのない人かもしれない。
だけども、その人と一緒にいて「なんか楽しい」と思う自分がいるなら、助ける理由はこれだけで十分だと思った。
助ける方法はお金を渡すだけじゃない
もし、「その人がお金に困っているなら、お金を渡さなければならない」と短絡的に考えては、助けられる人も助けられなくなる。
自分ができることで助ければいい。
例えば、お金に困っている人が、足りない分のお金を全力で稼げるように仕事を紹介してあげたり、また、その人が全力で仕事ができるように雑事を引き受けてあげたりと、やり方はいろいろある。
自分が持っているリソースのうち、分け与えても問題ない分だけ、分けてあげればいい。
もし足りなかったら、他に助けてくれそうな人を紹介するのでもいい。
とにかくやり方はいろいろある。
日頃から「助けてくれない人」だと思われないようにする
失敗の傷口は放置すればするほど、深く、そして広くなる。
事態が深刻になってしまっては、助けられるものも助けられなくなる。
まだ傷口が浅いうちに仲間が助けを求められるように、日頃からこの考え方を話しておこう。
もしかしたらそれだけで助かる人も出てくるかもしれないから。