- お金と健康を粗末にする両親を見捨てる覚悟をする
- 自由と安心のためにそれ以外の望みをたくさん諦めてリソースを作った
- 犠牲の代償であるリソースを両親に奪われてはたまらない
- 「自分の身は自分で守る」できなかったやつは「見殺し」にする
お金と健康を粗末にする両親を見捨てる覚悟をする
人が幸せに生きていくための土台には、お金と健康が必要である。しかし、そのことを無視してお金と健康を粗末に扱う人がいる。
たいして収入もないくせに新築戸建、マイカー、外食、レジャーを買って楽しみ、その埋め合わせのためにさらに働く。限界ギリギリの週6労働である。
資本主義社会においては、これほど理想的な消費者はいないだろう。褒めて遣わす。
しかし、こんなことをしていては「安心を買うためのお金」は貯まらず、労働のストレスで「平穏無事に過ごすための健康」を害し、体を壊す。
これを止めるためには、借金を整理して、支出を減らして、労働を減らして、健康的な生活をしていく必要がある。
が、両親はこれをしない。
きっと必要性すらわかっていない。
50歳を超えてもこのことがわからないなら、もはや一生わからないかもしれない。(ワンチャン、体を壊したり、失業すればわかるかもしれないが、その時はすでに遅い)
それはそれでいい。所詮は他人の人生である。
しかし、それを我が家族が補填するつもりはない。
自由と安心のためにそれ以外の望みをたくさん諦めてリソースを作った
このブログの記事に書き殴った通り、我々夫婦は自由と安心のために、それ以外の望みをたくさん諦めてリソースを作ってきた。
子供は諦めた。新築戸建も諦めた。マイカーなんて全然いらない。外食だって年に1度だけにしている。
その結果、お金と健康という貴重なリソースを獲得することができた。
お金を使わない工夫を実践しているのでお金は貯まり、適度な労働で時間と体力を余らせているので、自炊や運動といった「手間のかかる健康維持作業」も難なくできるように日々の生き方をデザインしている。
犠牲の代償であるリソースを両親に奪われてはたまらない
そうやって我々夫婦が努力して獲得したリソースを、欲望のままに消費する両親に奪われてはたまらない。
なんのために頑張ってリソースを作ってきたのか。少なくとも両親の無駄遣いを補填してやるためではない。
我々が目論見通りに幸せに生きるためだ。
「自分の身は自分で守る」できなかったやつは「見殺し」にする
お金と健康は、欲望を叶えるリソースであると同時に、この社会で自分を守るためには必須なリソースでもある。
つまり「自分の身は自分で守る」ためにはリソースが必要なのである。
なので、本来はまず「自分の身は自分で守るためのリソース」を確保して、その次に「欲望を叶えるためのリソース」を作って使うのである。
その順番を間違えると、自分の身を他人に守ってもらうか、自分の身を滅ぼすかしか選択肢はなくなる。
お金と健康は命に関わるくらい大事なリソースなのである。
そのことがわからずに、大事なリソースを吐き出してしまったやつは、「見殺し」にするしかない。