- アマチュア格闘技の試合は「気持ち」が9割
- 小説のような読ませる文体で体験談が書けると強い
- 恥ずかしくなるとアドレナリンが出る感覚はわかる
- 「自立した大人」でいてくれれば理解できなくてもいい
- なるほど、あれはプレ性教育だったのか
- 少しでも何か書くのは大事
- 仕事とは「人生を楽にする行動」らしい
- 読みにくいブログの文章も「歌詞」のようなだと思うと納得できる
- 怒られない生き方がいいなと思った
アマチュア格闘技の試合は「気持ち」が9割
プロやセミプロは試合の勝ちには価値がある。お金と名声が手に入り、それで生活ができる。一方でアマチュアの試合には報酬はない。お金なんて貰えるわけもないし、誰も見てないので名声もつかない。
そんなアマチュアの試合だってこなすには努力がいる。試合までのハードな練習と試合当日までのコンディション調整、試合当日に全力を出し切るモチベーションなど、程度は違えど、やることはプロやセミプロと変わらない。
こういう厳しい過程をきちんとこなすには報酬に依存しない純粋な「気持ち」が必要。今回の筆者にはそれがなかった。
小説のような読ませる文体で体験談が書けると強い
体験談の部分は創作であったとしても、きちんと読めるから「損した感」は感じない。
恥ずかしくなるとアドレナリンが出る感覚はわかる
居ても立っても居られないあの感覚。。う〜ん、応用できたら恥をかくのもポジティブに捉えられそう。
「自立した大人」でいてくれれば理解できなくてもいい
ずばり、不摂生をやめない夫が理解できずにいました。
問題の種を発見してからの、
そんな中、夫は先日、ある病気を発症しました。尿路結石でした。
大問題が発生するこの流れは、我が夫婦でも似たようなことやっている。
「他人から悪く思われたくない他人軸の妻」が、職場で自分のキャパを超える仕事を積極的に引き受けて、それを必死にこなして、限界が来て体調を崩す、という流れを半年に1回くらいやっている。筆者はその度に心配になると同時に呆れている。この妻の思考の仕組みを筆者は理解できない。
夫婦は理解しあえなくていいけども、せめて家族の一員として家族に迷惑をかけることにつながる行動は慎んでほしいと思う。そこさえ慎んでくれれば、どんなに理解できないことをやっていても自由にしていいから。
なるほど、あれはプレ性教育だったのか
90年生まれの筆者はぎりぎり「濡れたエロ本」が公園に落ちてた世代である。
少しでも何か書くのは大事
書いてるうちにどんどん広がってくるから。
仕事とは「人生を楽にする行動」らしい
アンナ・ハーレントの『人間の条件』によるとそうらしい。
一方で、『労働』とは生きる糧を得るという野生動物でもやっている行動のこと。たぶん、辛いのは『労働』であって『仕事』じゃない。
『労働』は工夫しない限り、それがどんなに辛くても一生続けることになるが、『仕事』は『労働』をしなくても快適に生きていけるようにする希望を積み上げる行動なんだと思う。
『労働』に文句があるのは当たり前。ならば『仕事』を通してより快適に楽しく生きていこうよ!という『人間の条件』の主張には激しく同意する。
読みにくいブログの文章も「歌詞」のようなだと思うと納得できる
だから筆者もブログの文章の良し悪しは気にしない。
怒られない生き方がいいなと思った
そのためにはすぐに仕事を辞められるようにお金を貯めるとかかなぁ。