自家製「白菜ニラ豚肉餃子」

 

レシピはもう書かなくていいと思った

 以下のカテゴリーで簡単なレシピ付きの記事を書いていたが、誰も見てないので、レシピを書くのはもいいかなと思った。

 レシピって書いてても別に面白くはないし。

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たまには「手間のかかる美味しい料理」を作るのもいいと思った

 いつも食べているご馳走料理の「タコス」、「ステーキ」、「鍋」は美味しくて調理がすごく簡単で早くできる優れものである。

 15分もあれば仕上げまで持っていけるくらい早く作れる。特に「タコス」は早い。ほとんど刻むだけの作業しかないし。

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 簡単で美味しくて楽なので、ついついご馳走はこれらをローテーションさせがちであった。

 手早く作って、食べて、その後で何かをやる時間を作れたらもう最高なのであった。

 が、こういうスピード調理した料理は同じくスピード喰いしてしまって、ゆっくりと味わって、食事を楽しめたかどうか自信がない。

 もちろん、味は美味しい。が、なんだか食べる工程すらも効率的にこなそうとしてしまってた感じがする。

 一方で、料理の工程に1時間くらいかかる料理は、作る時も「どうせ時間がかかるんだからじっくりやるか」と言う気分になったし、食べる時も「時間をかけて作ったものの味はどうか?」とよく味わって食べた。

 また、作る時に食べる人みんなで作ったのも、また新鮮味があった。楽しかった。

 これはこれでいいもんだと思った。

手間をかける時間があることが幸福につながる

 餃子は好きなので、冷凍食品の「餃子の王将の餃子」をよく買っていた。

 あれは値段が手頃で、冷凍食品なので調理はもちろん簡単である。たぶん5分くらいでできてしまう。

 そして味もまぁまぁ美味しい。ちなみに「餃子の王将」には1度も行ったことがないので、この冷凍食品がどの程度本場の味を再現しているかは不明だが、ちゃんとまぁまぁ美味しい。

 今回作った餃子は総コストが900円くらいで、通常サイズが30個、ジャンボサイズが16個の計46個と、包みきれなかった餃子の中身が約通常サイズで15個分の餃子ができた。

 やはり冷凍食品よりも自分で作ったほうが金銭面でのコストは圧倒的に安い。

 また、味も自分で作った餃子の方がだいぶ美味しかったので、満足感も自作の方が高い。

 手間をかけて餃子を作る時間が作れるなら自分でやったほうが、素早く食べれる冷凍食品餃子を食べるよりも遥かに幸福感は高くなる。

なんのために急いで生きてるのか

 筆者は日々急いて生きている。

 たった1時間の昼休みに素早くかき込む冷食を織り交ぜた昼飯。

 仕事が終わってその他の作業をするために、急いで済ませる晩飯。

 どれも手を抜いて作っているつもりはないが、急いで作って急いで食べている。

 毎日の食事が不味くはなかったことは覚えているが、「どれくらい美味しかったか」という記憶はない。

 毎日の食事で急いでいるから、今回みたいな「餃子を自分で作る」ことはできない。

 幸福感は微妙だが、少なくとも効率よくやっている。

 筆者はなんのために急いで生きているんだろうか。

 幸せに生きるために幸せを後回しにして急いでるんだろうか。

 今のところ急ぐことと、幸せに生きることは結びついていない。

 急いで生きるために、急いで生きている気もする。

 また作って食べたいな。