無能が褒められることはない
無能は褒められる能力を持っていないから無能なのである。
もしかしたら、無能に対しては誰も期待していないので、仕事がうまくいったときはもしかしたら褒められるかもしれない。
ただ、それは「期待とのギャップ」があったから褒められたわけで、能力や成果が必ずしも褒められるに値するものだったとは限らない。
無能は自分自身の能力や仕事の成果で褒められることを期待してはいけないのである。
とはいえ褒められたい
無能とはいえ、MAX60点くらいの仕事しかできないとしても、褒めてもらいたい。
じゃないとモチベーションも上がらない。(もちろん、モチベーションを上げすぎて「やる気のある無能」になってはならないので注意)
もちろん、毎月の給料が出ている時点で、無能にとってはそれが「最大級の褒め」であることは間違いないのだが、よく深い無能はついつい、「褒めというイレギュラーな報酬」を求めてしまう。
お金に加えてお褒めの言葉も要求仕様というのである。無能のくせになんて強欲なんだろうか。
でも仕方ない。
無能で会社のお荷物だったとしても、無能なりに頑張ってMAX60点の仕事をしているのである。頑張るためにはエネルギーがいるのである。
せめて、日々の仕事を続けられるだけのモチベーションは保ちたい。
無能は自分で「できたこと」と「できなかったこと」を評価していく必要がある
無能を褒めてくれる人はいないので、無能は自分で自分を褒めてやる必要がある。
ただし、褒めるにも「よくできたな」、「よくがんばったな」などと根拠のない褒め方をしても意味はない。虚しいだけである。
褒めるにも根拠が欲しいので、その根拠となるように「できたこと」と「できなかったこと」をメモにでも書いておき、定期的に振り返ってみよう。項目はどんな小さなことでもいい。
そんでもって、「できたこと」が1つでもあれば「よくやった」と評価する。さらに「できなかったこと」が3個以下なら、これも「よくやった」と評価する。このくらいの評価で行こう。
その日に「よくやった」ら祝杯でも上げよう。
無能への風当たりは強い。そんな中で生き残るには、自分で自分を褒めてやる優しさが必要だ。
良い無能ライフを!
無能であることは変えられない。
だったら無能としていい人生を送れるようにしよう!
全ての無能に幸あれ!