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一緒に住む人とは「仲のいい会社の同期」くらいの距離感がちょうど良い

 

同棲相手には遠慮がなくなる

 これは同棲相手だけに限った話ではないが、長い期間一緒に生活をしていると相手に遠慮がなくなってしまう。これはなぜか。

 長く生活した分、相手のことを「よく知っている」と錯覚してしまうことがあると思う。

 その錯覚が、「この人にはこれくらいは言ってもいいだろう」と他の人には言わないようなことを言ってしまったりするのではないだろうか。

 下の図で言うと、同棲相手以外には「大人の私」として振る舞うが、同棲相手には「親のような私」と「子どものような私」も見せる。

 なので、同棲相手には親のように小言を言ってしまったり、子どものようにわがままを言ってしまったりするように思う。

夫婦のストレス 現在の関係

出典:家族との人間関係にストレスを感じている場合の対処法・ケース別の例を紹介 | NHK健康チャンネル

同棲相手との関係は長期戦

 同棲相手とは将来結婚したり、そもそも同棲が長く続いたりとその関係性は長期的である。

 長い時間一緒に過ごす相手だから、日々ストレスをかけているとその関係を続けるのはしんどくなる。

 もちろん、心を許せる相手だからこそ、他の人には見せない「いろんな私」を見せらて、それが互いの感動に貢献する場合もあるかもしれない。

 ただし、「いろんな私」を見せることによるストレスの振れ幅が大きいと最悪の場合関係が破綻してしまう危険もある。

 なので、関係を長く続けるために、生活の上では、「大きな感動と大きなストレス」があるよりも「小さな感動と小さなストレス」しかない方が良いと思う。

 「大きな感動と大きなストレス」は最悪関係の破綻まで一気に進んでしまう可能性があるから。

 ただし、長く一緒にいる中でマンネリを感じ、「小さな感動と小さなストレス」では物足りず「大きな感動と大きなストレス」が欲しくなったときは、旅行に行くなり、お金を使って一緒に非日常の体験を買うのもいい。

 非日常の体験を買う価値はきっとそこにある。

「仲のいい会社の同期」くらいの距離感がちょうど良い

 一緒に暮らす人と長期的に人間関係を保つには、「仲のいい会社の同期」くらいの距離感がちょうど良い。

 理由は、仲はいいけども、会社という環境では互いに大人として振る舞い、しかし同期なので上司と部下のような権力差がない関係だからだ。抽象的かつ主観的だが、なんとくなく伝わればいいな、と思う。

 この距離感を保っているうちは自然と「親のような私」と「子どものような私」のような「いろんな私」が顔を出す機会を減らせるだろう。

相手の気持ちを思いやることはかなり難しいが、距離感を保つのは比較的易しい

 よく「相手の気持ちを想像して、相手を思いやることが大事」などの言説に触れることがある。しかし、これは難しい。結局、相手の気持ちだと思ったものは自分の想像なのだ。間違ってることもある。

 さらに、いつでもこれができる心の余裕があるわけじゃない。例えば、仕事が忙しかったり、自分もストレスフルな状況では自分のことでいっぱいいっぱいになり、相手のことより自分のことを優先してしまうものだ。

 なので、相手と向き合うときには、毎度その気持ちを想像するよりも、あらかじめ決めた距離感を保つようにした方が楽だし効果が高いと、経験上思うのである。

 

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