サバゲーにかける予算と時間を削れば自分が楽しめなくなる
家族に「サバゲーをやめてほしい」と言われたら、その原因として真っ先に考えるのは、「サバゲーにお金か時間を使いすぎたか?」ということである。
もし、「やめてほしい」と言われている原因が本当にサバゲーにかける「お金と時間」である場合は、サバゲーを続けながら、この問題を解決するのはなかなか難しい。
サバゲーは銃をはじめとした装備品を買い集めるという「コレクション性」と、勝つために工夫と練習をしなければならないという「競技性」がある。この2つの性質を満たすには、予算と時間が必要だからである。
サバゲーに限らず「大人のごっこ遊び」は部外者から見たら普通にキモいもの
「大人のごっこ遊び」は家族をはじめ部外者から見ればただキモいだけである。それはしょうがない。
部外者に良さをわかってもらうのは基本的に無理なので、「わかってくれ」は通用しない。これは理屈ではない。
なので、大手を振って予算と時間をかけて「大人のごっこ遊び」であるサバゲーをやるためには、サバゲーをやる側が一工夫する必要がある。
大手を振ってサバゲーをやるために考えること
サバゲーがお金になれば、それは「大人のごっこ遊び」から、「仕事」になる。やってることは相変わらずのサバゲーだが、「これをやることでお金を稼いでいる」となれば部外者が簡単に批判するのは難しくなる。
お金と時間のリソース不足問題も、お金が稼げているなら多少の言い訳はできる。
具体的には、youtubeに動画をあげたり、サバゲ関連の最新情報や体験談などをまとめてブログにして発信するなどをすれば、サバゲーを楽しみながらマネタイズすることもできる。やってる人はある程度いるので、真似したい分野の先駆者たちの真似をしてみるのが第一歩だろう。
サバゲーをすることを部外者に理解してもらうのは難しい。別の案としては、部外者から関係者にしてしまうのも一つの手だと思う。批判的な部外者と何とかして一緒にサバゲーをやって、サバゲーがいかに楽しいかを一緒に体験させられれば、サバゲーをやることへの批判も出なくなるのではないかと思う。
自分にとって「やってて楽しいもの」は世の中にそう多くないので大事にしたい
サバゲーに限らず、自分にとって「やってて楽しいもの」は世の中にそう多くない。
ただ時間が過ぎるだけの週末を過ごすより、部外者に批判されようが自分が心から楽しめる物事を知っているのは幸せなことである。
なので、ただ部外者に批判された程度のことをやめる理由にするのはもったいない。せっかく出会えた貴重な趣味を続けられるように努力したいものである。