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お金にならない「ありがとう」はいらない

『「ありがとう」の総量をお金で評価するのが資本主義です』

 こんなことが書いてある本を斜め読みした。

 この本に限らず、「お金」を説明する際に「ありがとう」が引き合いに出されることままある。

 これはその通りだと思う。この説明で現代の資本主義が、わかりやすく、そして残酷であることがよくわかる、素晴らしい説明だと思う。

「お金を払ってくれる誰か」の課題を解決させるのが「ビジネス」

 上記の説明から、一見すると資本主義社会は「お金を媒介にしてみんなが他人に「ありがとう」を贈り合う素敵な社会」に見えるが、その中身は結構残酷である。

 なぜなら「お金」で評価できない「ありがとう」を資本主義は評価できないからだ。

 例えば、「電車で席を譲る」、「子供を育てる」、「儲けにならないけど一番効率の良い方法を無料で教える」など、その行為をされた者が、してくれた者に対して「お金」を払わないやり取りは「ビジネス」とは言わない。

 「お金」と交換できて初めて「ビジネス」なのである。

 なので、資本主義において「ビジネス」をする場合は、「お金」を払えない人は「ありがとう」と言えない人であり、相手にする価値はない。

良くも悪くもお金を儲けるのが「ビジネス」

 さらに「ありがとう」を「お金」で評価する資本主義においては、それを多く得られたら「たくさんのありがとうを受け取った尊い人」と評価することも、その残酷さに拍車をかけている。

 つまるところ、短期的にせよ、「お金」さえ儲かっていれば資本主義では評価される。たくさん「お金」を持っている人として、社会からたくさんのリソースを得ることができる。

 なので、「頭の悪い奴を法律に触れない範囲でやりこめて金を取る」のもアリ。心情的にはモヤモヤするが、そうやって「お金」を得た人は、その「お金」の分だけ何かを手に入れることができる。

 

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 この延長で、『その行為で「ありがとう」と思わせるように「広告」で宣伝して洗脳し、別になんの役にも立たないけども、できるだけ高額で買わせる商売』も、結果としてこの「ビジネス」をやった人の手元に「お金」が残るので、資本主義社会では評価されたことになる。

 これは「ありがとう」のマッチポンプである。

「お金」を持ちつつ、「お金」以外の手段でも交換できるようにする

 以上を考えると、単純に「一生懸命働いてお金を稼ぐことは尊い」などとは言えない。

 「一生懸命に働く」の中身が、「効率よく相手にお金を支払わせる努力」ならば、そんなことはなるべくしたくない。一方で、「お金を効率は良くないけども相手のためになる」ってのもこちらが辛い。

 が、筆者にとっては資本主義の方が分かりやすく、効率的に社会からリソースを得ることができるのは事実である。

 一方で、不確実で、非効率で、分かりにくいが、「お金」を介さない取引の可能性に興味が出てきた。

 筆者には「お金」で評価できないことも、生きていくには必要だと思っている。というかむしろそっちの方が安心できて、心地よい場合もある。例えば、家族や友人との関係とかね。

 そういうモノの交換もできた方が、安心して心地よく暮らせそうだと思ったのである。

参考

15歳から学ぶお金の教養 先生、お金持ちになるにはどうしたらいいですか? | 書籍 | ダイヤモンド社