世の中無料で楽しめるコンテンツが溢れている
youtubeだったり、ニコニコ動画だったり、オンラインゲームだったり、インターネットを使って遊べるものは基本的には無料のコンテンツであることが多い。
これら無料のコンテンツは、実際にはお金以外を支払っているので無料とは言えないかもしれないが、手元のお金は減ってないので「無料」と考えていい。
無料のコンテンツで楽しめていない人は、これらのコンテンツにそもそもアクセスしていない、あるいは、無数にある無料コンテンツの中から自分が楽しいと思えるものを見つけられていない場合がある。
無料コンテンツは有料コンテンツと比べて、「宣伝」をしていないので、自分の好みに合うコンテンツを探すのがなかなか難しいが、探す時間を使えば必ず自分の好みに合うコンテンツを見つけられると考えている。(ネット上の全てのコンテンツを消費してから「自分の好みは無料でネット上にはなかった」と言い切れるネット博士がいたら話をしてみたいものだ)
買わなきゃ幸せになれないを疑う
「自分の欲しいものは買わなきゃ手に入らない」と思うのは、その考えを疑う必要がある。
買わなきゃ手に入らないという考えを持っているのは、きっと「商品棚」しか見てこなかった人生だからだと思う。
商品棚にある「商品」は基本的には人の目に留まりやすいように宣伝されている。商品がそこにあって、それがどんなものかを売りたい側が教えてくれる。
教えてくれるので、買う側はその商品について自分で調べなくてもその商品について知ることができる。
なので商品棚から商品を選ぶのは簡単なのだ。浴びるように宣伝を見聞きすればいい。しかも宣伝なんて苦労しなくてもテレビなど、何かしらのチャンネルを開けておけば途切れることなく入ってくる。
世の中のコンテンツが、すべて「商品棚」にあるものだと考えているうちは、確かに「商品を買わなければ幸せになれない」としか考えられない。
しかし、今の世の中、「商品棚」以外にもたくさんコンテンツがある。(それらたくさんのコンテンツも「新しい商品棚」並んでいる「商品」とも言えるが)
有料コンテンツ信者は、無料でアクセスできるコンテンツを味わってみて、本当に自分が有料コンテンツでなければ満足できないか、ということは一度試してみるべきだ。
自分の成長が楽しめればお金はかからない
コンテンツの消費以外に、自分自身の成長をコンテンツにできる考え方ができれば、無料で遊んで幸せになる方法は更に広がる。
コンテンツの消費には一応限りがある。お気に入りの無料のコンテンツもいつ新しいコンテンツの提供が無くなるかわからない。
自分の成長を楽しめれば、自分の幸せをコンテンツの消費に依存せずに済む。
例えば、ギターを練習して、昨日できなかったフレーズが綺麗に弾けるようになったとか、筋トレをして日ごとに自分の体がかっこよくなっていくこととか。
一例に過ぎないが、ギターも筋トレも誰かが作ったコンテンツを消費し続ける必要はない。昨日より上達した自分がコンテンツなのだから。
もちろん、ギターは買わないといけないし、筋トレだって道具やジムにお金を使うこともあるだろう。しかし、これらの「買うこと」は、買うこと自体を幸せとしていないので、有料コンテンツを消費し続ける者とは違う。
自分の成長を楽しめる人々にとって、道具はあくまで、幸せを引き出すための道具にすぎず、道具を買うこと自体に意味はない。
お金のあるなしに関係なく幸せになれる方法を知っていればお金がなくなることを恐れる必要は無くなる
お金のあるなしを幸せの根拠にしていると、その分だけ解決しなければならない不幸がついて回る。
まず、お金を得る手段を手放せなくなるから、仕事は辛かろうが続けなければならない。
次に、お金で買える幸せの限度に我慢し続けなければならない。なんでも好きなだけ欲しいものを買えればいいけども、基本的にはそうはいかない。お金の残高が買える幸せの上限になるから、もっと欲しくても我慢しなければならない。(借金は考慮しない)
つまるところ、お金で幸せを買っている人は、砂漠で必死に水を探し回っている亡者のようなものだ。砂漠にさえいなければそんなに必死に水を求める必要もない。砂漠から脱出するための方法が、自分の幸せをお金のあるなしに依存しないことになると考えている。
つまりそういうこと。