自分が好きでやりたいことはたくさんある
自分は好きでやりたいことが山ほどあって、自分でコントールできる日であれば、1日の中に「退屈な時間」などほぼ1秒もない。
なんとも素晴らしい状況である。
自分は好きではないことでも社交のためにやらなければならない
しかし、自分が好きでやりたいことだけをやって生きていればいい状況ではなくなっている。
例えば、会社の知り合いだったり、大した縁のない知り合いと無駄に付き合うことはしなくてもいい。なんだか昨今の世の中はそういう流れだがそれには賛成。
しかし、友達や家族など、最低限繋がっておかなければならない人間関係もある。そういう、関係性のメンテナンスをするときの社交は、自分の好きでやりたいことより優先させてはならない。もしやってしまうと孤独になって、長期的には損である。
自分が付き合いたい時にだけ付き合わせてくれる、そんな都合のいい人間関係はなかなか存在しない。相手の付き合って欲しい時にも付き合うから、自分が付き合いたい時にも付き合ってくれるのである。日々のギブアンドテイクが大事。
やりたいことをやる予定でスケジュールが埋まっているとうまく社交できない
しかし、自分が好きでやりたいことと、社交でやる退屈なこととでは、楽しさが違う。時間の限られた会社員であれば、なるべく貴重な休みの時間を退屈には過ごしたくない。
しかし、その退屈も相対的なものである。自分が好きでやりたいことがあまりに楽しくて、さらにそれが山積みだから「社交がつまらない。」「社交に使う時間が無駄に感じる。」と思ってしまうのである。
社交をうまくやるためにあえて退屈な「何もしていない時間」を作る
では、そもそも好きでやりたいことがいくつもない状況であればどうだろうか?「暇で退屈な時間」ができるのではないだろうか。
「暇で退屈な時間」ができれば、社交を楽しむことができる。だって暇で退屈してるんだもの。
好きなことがありすぎるのも問題
孤独を超越しない限り、自分が好きでやりたいことを持ちすぎるのは、社交が疎かになるので危険。
人と繋がっているためにはバランスが大事なんだと思った。